「あなたは頑張れてるよ、大丈夫」。鏡に映る自分に伝えてあげる。すーっと涙が頬をつたって流れてきて、自分の中に抑えてきた思いが溢れ出す。
「でも、何のために頑張ってるの?」。無心でシャワーを浴びて、いつ眠りについたかは覚えていない。
この日を境に、私は頑張れなくなった。地方から都会へ出てきて3年目の春だった。
プライベートは制限され、仕事は成果を求められる日々に限界が来ていた
1年目は仕事に慣れることで精一杯。プライベートのコミュニティを拡げることもままならないまま突入したコロナ禍で、家族にも友人にも恋人にも会えない状況が続き、孤独感に蝕まれた。
どれだけプライベートを制限されても、仕事だけは変わらない成果を求められる日々。こんな状況下でもお給料を頂ける有難みを大いに感じつつも、自分の中でのライフワークバランスが次第に崩れていき、気づかないうちに限界が来ていた。
それから数ヶ月、自分の心の健康を保てなくなってきていることに気づいてもなお、周囲に助けを求めることが出来ず、「頑張れない自分」を責め続け、何とか半歩でも前にと歩みを進めていたところで、体に異変が訪れた。
原因不明の高熱と吐き気、全身の酷い倦怠感。時期が時期なのでコロナを疑い、それ相応の対応をとって病院へ行くと陰性との結果。その後の診断でストレス性の胃腸炎と耳にしたとき、驚きと少しの安堵が入り混じった不思議な気持ちに包まれた。
「もういいよ。よく頑張った。もう頑張らなくていいよ」。そう自分に言い聞かせた。立ち止まる勇気を初めて持てた。
「頑張れない自分」を鼓舞して、問題を見て見ぬフリをしていた
私は「頑張れない自分」を許せなかった。自分がしたことで誰かが喜んでくれればという一心で、何事も精一杯取り組んできた人生に、誇りを持っていた。為せば為る、と心から信じていたし、自分に自信を持てずとも、自分の粘り強さにだけは自信があった。
そんな自分が否定される気がして、「頑張れない自分」を鼓舞して、問題を見て見ぬフリをした。
どうして頑張れないのか。頑張れないことは悪いことなのか。私が大事にしたいことは何なのか。どうすれば私が私らしく生きていけるのか……。
「頑張れない自分」を認め、立ち止まって自分自身と初めて向き合ったとき、心の中にあった重いものが少しだけ軽くなった気がした。そして、これからの自分に少しだけ光が差し込んだような、そんな気がした。
自分で選んだ道を、「あのときあの選択をしてよかった」と思えるように
私はまだ新しい一歩は踏み出せていない。これから踏み出そうとしている一歩が、どんなものになるのかもわからない。それでも、自分が選んだ道を、いつか「あのときあの選択をしてよかった」と思えるものにしていきたいと思えるまでに回復している。
だから、もしも同じように苦しんでいる方がいたら、取り返しがつかなくなる前に立ち止まってみてほしい。自分が「こうしなきゃ」「こうあるべき」と縛られている思考は、誰かに都合がいいように操作されていることのほうが多いことに気づいてほしい。
あなたはいくらでも、あなたらしく生きられる。もう遅いなんてことは、きっとないよ。いつからでも、いまからでも。
あなたには、あなたの世界を変えられる力があるよ。この言葉は、自分に向けても送りつづけたい。
この文章を読んでいるあなたが、どうか自分自身を大切にしながら生きていけますように。