わたしが働く理由。
それは、今日という一日を何か意味のあることに費やしたんだ、と思いたいからだ。24歳、社会人3年目のわたしがこのような考えに至ったのには理由がある。

社会人2年目の終わり頃、落ち着いていたわたしの「怖がり」が突如として再発した

わたしは小さな頃からとても怖がりだった。
みんなが怖がるような雷だとかおばけだとかではなく(そんなものはむしろへっちゃらだった)、自分の失敗が怖かったのだ。怖い、なんてレベルではなかったと思う。怖くて怖くてたまらない、もはや恐怖すら覚えた。
お遊戯会で振りを間違えたらどうしよう。授業中あてられて答えられなかったらどうしよう。志望校に落ちたらどうしよう。単位を落としたらどうしよう。誰に何を言われている訳でもないのに、自分で自分に過度なプレッシャーをかけてしまう。

もしかしたら小さな頃に何か原因となるような出来事があったのかもしれないと思い、必死で記憶を辿ってみたり、家族に聞いてみたりもしたが一向に思い当たる節はなく、どうしてこんなやっかいな性格になってしまったのかさっぱり分からないのだ。

そんなわけでわたしはこれまで恐怖に駆られて何時間も踊ったり、走ったり、勉強したり、本当に大変な思いをしてきたが、それも社会人になってからは学生時代と比べてだいぶ落ち着いた。恐怖に駆られるまでもなく寝坊なんてしなくなったし、やるべき仕事をこなすことが出来るようになっていたからだ。
しかし社会人2年目の終わり、突如として「怖がり」が再発した。

昼まで寝て、ボーッとスマホを眺めるような休日を過ごしたわたしはゾッとした

その日はよく晴れた土曜日だった。目覚ましをかけずに昼過ぎまで寝て、スマホで動画なんかをぼーっと見ていたらいつの間にか夕方くらいになり、冷蔵庫にあった焼きそばと豚肉と玉ねぎを適当に炒めて食べた。ふやけるまでお風呂に浸かり、歯を磨き、布団にもぐり込んだ。よくある休日だ。そして浅い眠りに入りかけたその時、
「もし今日一日死んでても、誰にも気づかれなかっただろうな」
そんな考えが頭をよぎった。わたしは文字通り「ゾッ」とした。

「ジャネーの法則」というものがある。
生きてきた年数によって一年の相対的な長さが小さくなっていくため、時の流れが早く感じるという法則だ。
一日なんて気づけば終わっている。一週間もあっという間に終わる。月末になれば「何してたんだっけ」と呟きながらカレンダーをめくる。一か月という気づけば過ぎ去っているような短い時間でも、カレンダーを3回めくれば季節が変わってしまう。たったの12回で干支が回ってしまう。ということは、たったの720回で人生が終わってしまう。

大事な一日を胸を張れるようなことに費やしたい

どんな年数だって一日の積み重ねから出来ている。一日って、わたしが思っていた以上にものすごく大事なものなのではないか?はたとその重要性に気づいてしまったわたしは、暗い部屋の中で目を開き、たくさんのことを考えた。

大事な一日をどう使おうと個人の自由だ。
ならばわたしは仕事に使おう。そうすれば今日という一日を自分のためだけではなく、誰かのためにも意味をもたらす一日にできる。せっかくわたしの大事な一日を消費するのだ。胸を張れるようなことに費やしたいではないか。だからわたしは仕事をする。真剣に仕事をしよう。

何にも関わらず部屋にいるだけでは自分も世界も動かない。PCに向かって頭を悩ませるからアイディアが生まれるのだ。人と話して気づきが生まれるから成長できるのだ。
大事な大事な一日を意味のあることのために、ひとつ消費するのだ。
よし、そうしよう。すずめが鳴く頃、わたしは深い眠りについた。