「生き急いでるね」。「いつも忙しそう」。これが友人から聞いた私のイメージである。

暇が嫌いで、少しでも時間が空くと何か用事を入れ、他にできることがないかを探してきた私。大学生になり、自由な時間が増えた分、この性格は更に色濃く私の生活に表れた。行動力の塊と言われたこともある。

やってみたかったアルバイトは全部したい。気になる場所は全部行きたい。興味のあることは全部調べ、勉強も全力。確かに毎日疲労困憊であったが、この性格に後悔したことはあまりなかった。全力で頑張って疲れる事こそ、私の中での充実だった。

この性格のおかげで、私は数え切れないほどの経験を積むことができた。就職活動をする今でも、当時の経験や実績を語ることができ、頑張ってきてよかったなと感じている。

大3のとき脱ステロイド治療を始めて、私は「歩みを止めたい」と感じた

そんな私が「歩みを止めようと」したとき。これは大学3年生のときである。

私は幼少期からアトピー性皮膚炎に悩まされており、ずっと薬と共に生きてきた。手放すことができないことに一抹の不安を抱えながらも、しょうがないと諦めてきた。

だが、「脱ステロイド」というステロイド剤を全く使わずに肌本来の力で皮膚を再生させる治療法を知り、薬をやめて普通の人として生活できる日が来るのかもしれないと思うと試さずにはいられなかった。

このようにして、脱ステロイドの治療を始めるのであるが、これは地獄の始まりであった。初めは顔の頬が乾燥し赤くなった。当時は夏にマスクを着けている人などいなかったが、マスクで顔を隠す生活を始めた。ただ、この時点では「肌が荒れた人」というレベルで、私のこれまでの生活を変えなければならないほどではなかった。

事態が大きく変わったのは、夏が過ぎた9月からである。季節的に乾燥し始めたからか、頭皮からつま先までの肌がボロボロ落ち、全身から血が出て、体を少し動かすだけで皮膚が割けて激痛。挙句の果てには体温調節が全くできなくなり、人生で初めて寒すぎて泣いた。

見た目も、見ている人を不快にさせるレベルで、人の肌というよりもゾンビであった。皮膚から常に浸出液という透明の液体が流れだし、服もろくに着ることができなかった。

こんな日々で初めて「歩みを止めたい」と感じた。自分の中で限界などとっくに超えていた。

忙しく突き進んできた私にとって、「歩みを止めること」が不安だった

大学は出席日数がギリギリ足りるところまで休み、アルバイト先にも「休ませてください」と伝えた。このように自分が「休む」ことで、今の苦しみからは少しは解放されると思っていたのだが、それは真逆であった。

自分の「行動し続ける」性格が周りから「すごいね」と評価され始めた時期でもあったため、裏切るというか、ここで休むことは自分自身の評価を下げてしまうのではないかという答えのない不安が私を貶めた。

そのため、大学を休んだ日には布団の中で泣き、アルバイト先に電話をした後には申し訳なさと、自分の不甲斐なさで大泣きした。完全に「自分の価値が下がった」と感じた。それだけ、私の中で第三者からの評価が大切であったのである。

ただ、この不安は完全に杞憂であった。アルバイト先に戻っても、これまで通り「私の評価」は変わっておらず、大学の成績も、日数分は勿論下がったが、しっかりと単位を出してもらえた。

これまで「歩みを止める」ことをしてこなかった私にとって、歩みを止めることはとてつもない不安で、世間からおいていかれるのではないかと感じたが、そんなことはないとわかった。「歩みを止める」「休む」という行動も自分の選択肢の中に加わった。

このように、絶望を味わう原因となった「脱ステロイド」の治療を始めた理由はもう一つあった。2020年からの留学のためである。

大学を休学した1年は、自分の中で新たな視点を得るきっかけになった

私は、海外生活への憧れと、学びたいことがあり、大学1年生の時から留学に向けて貯金や計画を立てていた。大学にある制度は私の中で満足できるものではなかったため、1から自分で探し、「もう飛行機に乗るだけ」というところまで準備をしていた。

しかしまたここで、「歩みを止める」か否かの判断に迫られる。コロナウイルスの影響である。ヨーロッパへの留学を計画していたのだが、取得していたビザが無効になってしまった。現地もロックダウン状態である。大学は「休学」の申請をしており、その休学の1年間で留学に行く予定であった。

その休学を取り消すのか否か。私は迷った。そもそも、留学に向けて休学をすること自体、同級生から遅れをとっている状態である。そこを追いつくためにも、休学を取り消すべきなのか否か。

結論としては、休学は取り消さなかった。「1年間の夏休み」を取得することにした。自分のこれまでの生活を振り返り、余裕さやゆとりがなかったなと感じたのだ。

「大学生は人生の夏休み」なんてよく詠われているが、忙しさが勝ってしまっていた。だから、これまで興味はあったけれどできていなかったこと、「暇」な1日をなにもせずに過ごすこと、他のことは気にせず勉強に打ち込むことなど、「やってみたかったけどできなかったこと」を消化する1年にすることにした。

この1年間は、自分の中で新たな視点を得るきっかけになった。これまで、自分を律し、結果を出し、第三者から評価されることでしか自己肯定感を見いだせてこなかった私が、自分を甘やかし、好きなことをし、世間的には100点とは言われないような生活をしていても、私を好きなままでいることができた。安定した自己肯定感を得ることができ、このゆとりある1年間のなかで「自分との向き合い方」を知ることができた。

休学を経て復学した現在、同学年の友人はすでに卒業してしまい、多少なりとも寂しさは感じる。しかし、「歩みを止める」決断に対しての後悔は全くない。もう一度、同じ状況に立たされても同じ決断をする。この決断ができたのは、大学3年生で泣きながら休む決断をしたからである。

これから、もっと多くの壁にぶつかっていくと思う。それでも私は、自分らしくいるために、自分を好きでいるためにも「歩みを止める」という選択肢を持ちながら「行動力の塊」として進んでいきたい。