「たのしいむだな時間を過ごしたい それを許さないのはだれだ」。「ちょっとまってほしいの いつまで は禁句 ただ待ってほしいの でも待ってなんかくれないんだー」。

日記を読み返すと、18歳だった当時の感情が鮮明に、あるいは不鮮明に蘇る。あの頃の私の視界は常に霞がかったようだった、ということをはっきりと思い出す。

あの頃はただ、待ってほしかった。やるべきことが何も追いつかなくて、周り以上に自分で自分を追い立てていたと思う。それでも体は動かなくて、涙ばかりが流れて、また学校には行けなくて、未提出の課題や追試は増えていく。ちょっと待ってほしかった。

留学を終えてからのクラスは学級崩壊していて、私はサボるようになった

10ヶ月の留学から帰国した16歳の私は、希望に満ち溢れていた。現地の言葉は次第に話せるようになったが、やはり完全なコミュニケーションとはいかず、何をするにも紙1枚分の壁を感じていた。

留学仲間が言った「左手でハサミを使っている感覚」というのは、言い得て妙だと今でも思う。簡単なことなのに、なんだか上手くいかない。そう感じることが多かった。

そして帰国のタイミングを迎え、私は無敵だと思った。日本に帰れば、皆が日本語を話していて、私は日本語で全てを伝えることができる。楽勝じゃん。なんだってできる。まずは目先の受験勉強だ!

そう思っていた私の出鼻が挫かれたのは速かった。出鼻挫かれ選手権があったら上位入賞していたと思う。

私が編入したクラスは、学級崩壊していた。ただでさえ1歳下のクラスメートがひどく幼く見えてくらくらした。どうして授業中に私語をせずにいられないのか? どうして机の下でゲームをしているのか? どうして無断で教室を出ていくのか? 同じ日本語を話しているはずなのに、さっぱり理解できなかった。

登校しても勉強ができないどころかストレスになるので、私は時折学校を無断欠席し、自宅で勉強するようになった。休んだ翌日、担任に「昨日サボりましたあ」と言うと、「おー」とのんびりしたあいづちが返ってきて、私は少し安心していた。

カウンセリングに通いながら、休み休み学校に通う日々が続いた。少し鬱の傾向があった。

クラス替えのない特進科に編入したが、こちらも残念なことに地獄だった

4月。クラス替えだ。楽観的にはなれなかった。メンツが多少シャッフルされても同じことが起こらないとは限らない。それだけは本当に絶対にマジで嫌だった。リスクを徹底的に避けるために私が選んだのは、特進科への編入だった。

特進科はクラス替えがなく、私のような普通科の生徒は成績次第で進級時に編入することができた。なんとか審査をくぐり抜けた私は、特進科の一員となり、地獄から抜け出した。

しかし残念なことに、抜け出した先は地獄 vol.2だった。まず、単純に授業についていけなかった。特進科は、普通科より授業の進度が早い。通常、特進科に編入する生徒は優秀なのですぐ追いつくことができるのだが、鬱でサボり癖のついた私には無理だった。

何も分からない授業をただ座って聞くことがあんなに辛いなんて知らなかった。初めて定期試験で0点を取った。

学校をサボると担任から携帯に何度も着信があった。一度も出ることはなかった。サボった翌日、重い体を引きずってなんとか登校すると、化学室に呼び出されるのが定番だった。

なぜ学校に来ない。課題を出せ。成績が悪い。そんな言葉たちに泣きながらあいづちを打ちつつ、私が今そこの窓から飛び降りたらどうなるんだろう、と妄想していた。前担任の「おー」をよく思い出していた。

当時、私は家庭の都合で一人暮らしをしていたが、偶然親がこちらに来ることになった。そのことを担任に話すと、「一度親御さんに学校に来てもらいなさい」と言われた。学級崩壊させていた主犯格の生徒ですら親を呼ばれることはなかった。今の私は彼らより悪い生徒なのか、と思った。

私がいかに怠惰な学校生活を送っているかが担任から親に告げられる中、私は「学校に来るのが辛くて」とこぼした。すると担任はとても驚いた顔をして、「そんなことは知らなかった」と言った。

マジか? と涙が一瞬ですっこんだのを覚えている。それ以来、担任は腫れ物を触るように私に接するようになったが、手遅れだった。

祖母の訃報が届いた夜、「学校をやめよう」と私の中で決心がついた

いつものように学校をサボった日の夜、なんとなくもう学校に行けないような気がした。明日どうしようと思っていたら、祖母の訃報が届いた。

あ、学校やめよう。こんなことで決心がついた。このまま忌引きで数日間休んでしまったら、私はもう絶対に学校に行かない。しかも、葬式に行けば離れている両親にも会って話ができる。

決まりだ。今思えば祖母の葬式中に娘が学校をやめるとか言い出した親の心労は計り知れないが、とにかく私にとってはベストタイミングだった。私は学校をやめた。

あの頃、世界は学校にしか存在しなくて、学校をやめたら全てが終わるような気がしていた。結果として、世界は終わらなくて、私は今も生きている。

高校を卒業してみたかった気持ちもあるが、あの時の自分にはそれしか選択肢がなかったことを私は覚えている。そして、その経験のおかげで、私は世界がそう簡単には終わらないことを知っている。だから、これでいい。

これからも、自分のペースでゆっくりやっていく。どうせ世界は終わらないのだから。