ふるさとは、自分を肯定するための場所である。自分がそこにいることに理由を求められず、かつ自分が積極的にその場所のメンテナンスにかかわらなくても、「そこにあり続ける」というやわらかな確信が持てる場所。

地域という言葉を実感できる場所で育った私は、寂しさを感じていた

私のふるさとは、生まれてから10年間住んだ大阪である。
大阪には、親戚がいるわけでもないし、連絡を取り続けている友達がいるわけでもない。追ううさぎもいないし、緑によどんだ川にはフナは泳がない。

でも「出身は?」と聞かれたらとりあえず「大阪です」と答えることにしている。
大阪の私が育った地域には、先祖代々その土地に住んでいる人がたくさんいて、「地域」という言葉が実感をもって感じられる場所だった。

おじいちゃん同士が同級生だの、お母さん同士が親友だので、小学校の運動会はちょっとした同窓会状態だったし、保護者リレーは子どものリレーと同じくらい盛り上がった。
両親ともに違う場所出身で一人っ子だった私は、そういう「大家族」のようにふるまえる人たちがうらやましかった。いても別に何も言われないけど、ふとした時に、私はそこにいないかのようにスルーされることがさみしかった。

だから、東京に引っ越すと決まったときはうれしかった。少なくとも、今感じている疎外感からは逃れられると思った。実際、逃れられた。
ただ、東京は「あなたはなぜここにいるのか」という札を絶えず私に突き付けてくる場所だった。私はその札に対してよい成績や、賞状をもって答えないといけなかった。

「自分が秀でていることを証明し続けられる人」に優しい東京での生活

それは、東京で中学受験をすることになった、という、東京という場所とは直接かかわりのない事柄に関連しているのかもしれない。だけど、東京は、「自分が秀でていることを証明し続けられる人」にやさしい場所で、そういう土地でもがきながら生きるのは結構しんどかった。

大学で文学部に進学した時もそうだった。
法学系のセミナーを受講した時、初回の授業で名簿を見た教授は、医学部の学生が受講するのを教授は手放しに喜んでいた。名簿を下までたどって、私が文学部だと知ると「文学部生なのに、なんで法学の授業取ろうと思ったの」と聞いてきた。

世の中にはいるだけで肯定される人と、絶えず自分が何者であるかを説明しないといけない人の2種類がいて(いや、もっと種類はあるだろうけど)、わたしはずっと後者なのだとぼんやり思った。ああ、めんどくさい。ああ、ずるい。答えてやるもんか。でも答え続けないと、居場所はなくなるのだ。

「ただそこにいるだけのわたし」を肯定してくれる故郷での暮らし

そんな大学も卒業して、わたしはいま、ふるさとに住んでいる。
知っている人に出会うこともないし、この場所に住む人は私のことなど誰も覚えていないだろう。けれど、感染症に翻弄され、出口が見えないまま一日一日を生きる今、この場所は「ただそこにいるだけのわたし」を肯定してくれる、という信頼がある。

なんていったって生まれたときにここにいたのだし、今は、生まれたての時よりはいろいろできることも増えたので、肯定される材料もその分増えているはずだし。

その信頼は、特定の他者に依存するのではなく、土地と、土地への私の信頼、によって成り立っている。だから信頼できる根拠は自分の中にしかなく、夢物語でしかないのかもしれない。けれどもこの場所への信頼がある限り、わたしは「生きているだけで、いいのだ」と思って生き続けられるし、ほかの人にも「生きているだけで、いいのだ」といえる人であり続けられるだろう。

ふるさとなんて、甘えだ。土着と観光のいいとこどりをしたい人の郷愁。木綿のハンカチーフだ。
でも、甘えられる人がいないとき、少なくとも「甘えられる場所」がないとやっていけないぜ。