初めて会った孫たちは、東京から来た私には近づこうとしない
私の祖母は昨年の三月末に亡くなった。ご時世柄もあり、葬儀と告別式は家族葬になって、地元の親戚と初めて顔を合わせた。
その日初めて私と兄以外にこんなに孫がいたのだと知らされる。
もうすぐ大学生になるという子は華があって顔が小さい。母も思わず「モデルさんみたいで可愛い」と驚いていた。孫たちは10人近くいて、東京から来た私には近づこうとしない。
顔に出していないつもりだろうが、強ばっていたり、距離を取って地元組は地元組としか話さない姿勢は見て分かる。すごく悲しいというより、孫の中で大学生以上である自分はマナー違反ではないかと思ってしまった。
お葬式でこんなお粗末な扱いを受けるのは少しだけ予想はしていたけれど、あからさまに避けられたら誰だっていい気持ちはしない。
高校生までは大人たちが道を正してくれるとよく言われるから、私はあえて何も言わない。祖母に免じて何も言わない。
お葬式の控え室で人生初の日本酒。今までは乾杯をする機会が多かった。「献杯」という儀式で日本酒を覚えることになった。
複雑な気持ちで祖母との思い出に浸る。20歳になって一緒にお酒が飲めたら……どうしても祖母の笑顔が忘れられない。ビールが好きでよく飲んでいたのを思い出し、私もビールを手に取る。
控え室での食事は地元組と東京神奈川組に分かれていた。久しぶりに大好きな親戚と話す。旦那さんと子供二人が可愛かった。お酒を飲みながら、近況報告し合う。それでコロナハラスメントまがいなことは水に流した。
初めて見る、父の泣き顔。私まで泣けてきた
葬儀が終わって控え室に戻る。各自で解散となり、翌日の告別式に備えて私と母もホテルに帰った。父は3人兄弟の末っ子で、葬儀場の控え室に残る。お姉さんは車椅子のため、息子さんと帰宅した。
お兄さんと父はどんな話をしたのだろうか。父は眠れたのだろうか。告別式が終わっても父から目を離すわけにはいかない。人前で自分の弱みを見せてこなかったからこそ、心配になっていたからだ。控え室で眠りにつくと限らない。
翌日。4月1日になり、私は社会人になった。
本来ならばこの日は入社式。父にも葬儀だけでいいと言われていたが、会社に相談して許可は得た。むしろ「家族との時間を大事にしてください」と言われた。
生憎の雨で迎えた告別式。葬儀場の控え室に集まり、父の顔を確認する。私と母を見るなり、「いやぁ、昨日少し飲みすぎて葬儀場で眠ってたみたい」と話す父。葬儀場のセットされている椅子で眠ってしまったらしい。
私の心配は予想が当たっていた。それもそうか。傍にいるよと寄り添っていたかったんだ。「どこで寝ているの?」等とは、さすがに怒れなかった。父の思いやりの形なんだと安心している。私の父で良かった。
告別式の会場に祖母が車で送られる。お兄さんとお姉さんが涙を流す中、遺影を持たされるまで父は泣いていなかった。
父の泣き顔を見るのは人生初。厳しくて意地っ張りな父の涙。告別式の会場までバスで移動する間、私まで泣けてきた。父は我慢していた思いと育ててもらった感謝が込み上げて心細くなっているはずだ。
私自身、こんなに若いうちに経験すると思っていなかったけれど、いつか来る親との別れの日を想像してしまった。きっと涙が止まらなくなる。その日を迎えた時に「ありがとう」と言えるだろうか……。あえて何も言わないでおこう。
祖母の向日葵みたいな笑顔は、もう見られない
バスの中では本当に静かな時間が流れて、時折、外の景色を見ながら桜を見つけていた。
雨でも桜は綺麗に咲いていた。まるで祖母が「寂しい」と言っているように見える。まだ実感が湧かない。
会場に着くと、地元組は直ぐに私たち東京組から離れて祖母を移動させていた。
午前中に出棺の儀式が行われて、参列者は涙が止まらない。
私はその場から走って逃げたかった。もう祖母と話すことも出来ないんだという現実を受け入れたくなかったからだ。
東京から来ると「よく来てくれたね」と迎えてくれて、向日葵みたいな明るい笑顔がもう見られないと思うと本当に寂しくなった。言葉では言い表せない。
孫としての涙と息子としての涙は重みが違うから、父の方が何倍も寂しいのは確実。
祖母のお陰で家族と過ごせる時間がどれほど大事なのか改めて身に染みた2日間だった。
お昼を食べて会場から出る。今度こそ地元組とは顔を合わせない。私たちから挨拶しても聞こえなかった振りをされてしまった。感情すら生ませず、あえて何も言わない。