とある日の朝、私は母親と言い合いになった。
「あんた、本当に通う気あるの?」
「ない」
「どうするの?」
「断ってくる」
嘘をついた。
自分の中の答えは学校に「通う」ことを決めていた。
「行ってきます」
そう言い残して、家を出た。
最寄りの駅から電車に乗った。
20歳を超えていたので、もうすでに大人の仲間入り。
身分証明書、ハンコなど必要なものさえあれば、なんだって自分の力で、できるようになっていた。
それまではずっと親の許可や親の同意書など、「未成年だから」たった1つの理由だけで必要だったはずのものが、もう必要ではなくなっていた。
そういえば、「もう大人だったんだ」
秋晴れの空の下を歩きながら、そんなことを考えていた。

この道に進みたい気持ちはあるのに、「自分」がいつの間にか行方不明

学校に着いて、受付のスタッフさんに、アポイントをとってあることを伝えた。
1対1で話ができるブースに案内してもらい、椅子に座った。
自分の夢のこと。
自分の周りにいてくれる人のこと。
この道に進みたいって気持ちは、確かにここにあるはずなのに、肝心の中心にいるはずの「自分」がいつの間にか、行方不明になっていた。
そう感じたとき、何年ぶりだろう。
泣いた。
いつの間にか泣いていた。
あれ。泣くって感情、自分にもあったんだ。
忘れてたな。
重力に逆らうことなく、流れ落ちてく涙は全部、あったかかった。
話ていたスタッフさんが、大慌てでティッシュを箱ごと持ってきてくれた。

そうこうしているうちに、アルバイトに向かわないといけない時間になってしまった。
スタッフさんが、エレベーターホールまで見送りしてくれた。
「朝来た時よりも、顔がスッキリしてる!一緒にお母さんを見返してやろう!」
「泣いてしまってすみませんでした。ありがとうございました」

「アーティストの力になりたい」曖昧だった夢が、明確な目標に

アルバイトを終えて、携帯にメールが来ていた。
何件か来ていたが、そのうちの1つはスタッフさんのアドレスからだった。
「アルバイト、間に合いましたか?期待も不安もあるかとは思いますが、気持ちを聞くことができて良かったです。健全に悩んで、健全に失敗し、前向きに苦しんでいきましょう。
お母様には、今はまだ白紙にしてある、とだけ伝えてください」
そんな私の2018年が終わった。

年が明け、2019年1月。目標を決めた。
「空っぽになって、空っぽになった分だけ、今までずっと知らなかったデザインのことを吸収したい」
週に1回の通学。
学校に行く日だけは自分の中で、学生の日と呼ぶことにした。

あれから、3年。
「音楽アーティストの力になりたい」
ただそれしかなかった想いが-
「先輩の経営しているサロンのサイトを作りたい」
「学校の先輩方が作っているような作品を自分も創りたい」
「音楽アーティストの魅力を引き出せるようなそんなサイトを作りたい」
ずっと曖昧だったものが、はっきりとした明確な目標になった。
叶えたい夢になった。

「前向きに苦しんでいきましょう」今ならこの言葉の意味が分かるから

私が歩を止めたとき。
俯いた。
涙が溢れた。
だけど、立ち止まってみて気付いた。
気付かされた。
空っぽの空を抱きしめたくなるほど、 哀しいことはないと思う。
「健全に悩んで、健全に失敗し、前向きに苦しんでいきましょう」
そうか。そういうことか。
怖かったのは、自分で自分の首を絞めるその手を緩めることが怖かったんだ。

遠い昔にも、誰かに似たようなことを言われたことがあった。
「自分を大事にね」
あぁ、そういう意味だったんだ。
あの時は確かに孤独(ひとり)だったけど、今はもう、「一人」だけど「孤独」ではないから。
自分は自分を演じることなく、生きていく。

空が笑っているから、今日も今日の自分を抱きしめてみよう。
そう。1歩ずつでいい。
自分らしく歩いてみよう。
自分らしく笑ってみよう。
その時初めて空を見上げた。
「顔を上げて」
誰かに声をかけられたわけでもないのに、声をかけられて、その意味を確かめるかのように。