今日こそ電信柱にぶつかってやる。中学3年生だったわたしは週に4回、自転車にまたがりながらいつもそう思っていた。

髪をワックスで固めてズタボロのトウシューズを鞄に入れ、どっしりと重い気分で母に「行ってきます」と挨拶をすると、母は決まって「がんばってね」と言ってくれた。

バレエのレッスンに行きたくなくて、「休む口実」ばかり考えていた

炎天下の夏。普通に走れば自転車で10分間の道のりを1分1秒でも時間をかけるため、ママチャリに乗るヘナヘナのおじいさんのようにゆっくりゆっくりこいだ。ジリジリと首筋に当たる太陽に「お願い、熱中症にして」と祈り、最近あったできるだけバッチい出来事を思い出して吐き気をもよおそうと努力した。

それでも自転車は電信柱をするりと避け、車が来たら停止し、あらゆる危険を回避して目的地に着いてしまう。スタジオが近づくにつれ胃がキリキリとねじまがり、自転車から降りる頃には白目を剥いてぶっ倒れそうなくらい疲弊していた。

ああ、電信柱にぶつかっていれば。宙に舞う身体と音を立てて倒れる自転車。カラカラと回る車輪を空中から見下ろして、微笑むわたし。

そう、電信柱にぶつかって軽い怪我でもすれば。しばらくレッスンを休めるのに。

「絶対にバレリーナになる」と叫んで数ヶ月、わたしは落ちぶれていた

バレエは楽しむものではなく、心身を削って極めるものになっていた。同い年の仲間MちゃんとNちゃんがコンクールクラスへの推薦を受けて、ソロの練習をさせてもらえるようになった。

わたしは実力では到底2人には敵わなかったが、負けず嫌いだった。嫉妬の炎で全身をメラメラさせながら、母に頼んでレッスン回数を増やしてもらった。週2から週3、そして週4に増えた時、先生から母へメールが届いた。

「お嬢さんの向上心を買って、コンクールクラスに推薦します」。わたしと母は手を叩いて喜び、「絶対にバレリーナになるんだぜぃ!」と叫んで数ヶ月。わたしは早くも落ちぶれて、ヘナヘナじいさんのフォームでスタジオに向かう。

落ちぶれた理由。コンクールクラスに入るや否や、先生の態度もレッスンの空気感も一変したのだ。コンクールクラスは、今までのクラスとは違う! ピルエットピルエットピルエット! タンデュタンデュタンデュ! 膝を伸ばして! 肩を開いて! えーがーおー!!!

向上心はあったものの、身体が硬く、疲れた時の感情が顔に出やすいわたしは、先生たちから疎ましがられる存在になっていた。理不尽な八つ当たりを受けるのも、いつもわたしだった。

布団に入っても先生の怒声が頭にわんわん響き、レッスンの前日から震えが止まらない日々だった。スタジオに向かう道でどうにかこうにかレッスンを休む口実を作ろうと、そればかり考えていた。

全ての身支度を終えて、母に「今日、行かなくてもいい?」と言えた

そして、線香花火が落ちるように張り詰めた神経が限界を迎えた。全ての身支度を終えて、自室からでて、階段を降りる途中で、母の顔を見て、「今日、行かなくてもいい?」と声が出た。

ああ、言ってしまった。言った直後から涙が溢れた。ギャーギャー泣き喚くわたしを見て、母は「無理に行かなくていいわよ」とドン引きしながらも、スタジオに休みの電話を入れてくれた。

それからわたしは、10年通ったスタジオをあっさりとやめた。MちゃんもNちゃんも、わたしを止めなかった。わたしが苦しんでいたのを知っていてくれたのだ。

だが、バレエが嫌いになったわけではなかった。唯一の生き甲斐だったバレエをこのままやめてしまうのはあまりにも忍びなかった。そこで、1年だけとある名門バレエ団の附属スタジオに通い、「バレエは楽しい、美しい」と十分に自分を納得させてから、大学受験のためにやめた。

夢破れて泣いた夏。というと高校野球みたいでなんだかかっこいいが、正確にはレッスンしんどくてギャン泣きした夏。好きなものを好きでいられるために、やめる決断をした。

バレエをやめて6年経った今でも、ズタボロのトウシューズは捨てられずにいる。