ずっと人の役に立ちたかった。困っている人に寄り添って、力になりたかった。その人の人生がより良くなるように、お手伝いがしたかった。
その夢のために、ずっとずっと頑張ってきた。憧れの弁護士を目指し、そのためにひたすら頑張ってきた。
困った人の力になりたくて弁護士を目指した。でも、夢を目の前に怖くなった
必死で受験勉強をして大学に進学し、大学では大学院に進むために勉強し、大学院でも泣きながらひたすら勉強した。
昔から人付き合いが苦手で、でも、弁護士になるのにそれではダメだと、コミュニケーションの克服のために、慣れないことにも必死に取り組んできた。他のやりたいことも、その気持ちに気づかないふりをし、ただ夢のためだけに、ひたすら頑張ってきた。
その甲斐もあり、司法試験には1回で合格することができた。高校2年生の終わりに弁護士を目指し始めて8年近く。あと残るのは、1年間の研修だけだった。
だけど、急に怖くなった……私には何もない。夢のため、弁護士になるためだけにここまで来てしまった。必死に勉強した。苦手の克服にも努めてきた。だけど、勉強だけ。
苦手もどんどん増えていく。弁護士になるためには苦手だらけ。克服できるどころか、ますます苦手意識が強くなって、自己肯定感は低下していく一方。私はこの資格を得ても、何もできない。何もできない私は、人の役に立てない。私には何もできないんだ。不安と恐怖が募る。
つらかった。私は何をしてきたのだろう。8年近くも、何をやってたのかな。毎日泣いた。涙が止まらなかった。研修も辞めてしまいたかった。
でも、辞める勇気はなかった。辞めるのは逃げだと思った。逃げは甘え。逃げてはいけない。その気持ちだけった。
苦手なことから逃げるのは「甘え」だと思って、ずっと我慢してきた
そんなとき、昔のバイト先の先輩からの言葉が心に響いた。「しんどかったら、投げ出してね。自分の気持ちには正直にいよう」。「逃げることと身を守ることは違う。今『そうじゃない』と思ったとしたら、そう思った理由の中になんかしらの答えと原動力があるんじゃない」。そんな言葉だ。
大切なのは自分の気持ち、か。自分の気持ちって何だろう。弁護士になりたいんじゃないの?
考えたくて、大学院でお世話になった先生、大学院や大学時代の同期、先輩、後輩、それから母、いろんな人に自分から連絡をしてみた。LINEや電話でやりとりして、いろんな話を聞く中で、たくさん考えて気づいた。
それまで、人の役に立つために弁護士になりたくて、でも苦手ばっかりで、それでもそこから逃げるのは甘えだと思って、弁護士に固執していた。自分を犠牲にして、つらい、嫌だ、怖い、そんな自分の気持ちに向き合わないで、それをただの「逃げ」だと捉えて、我慢してきた。
でも、それって違う。困っている人の力になりたいという夢、そのために頑張っていたはずなのに、いつの間にか自分が「困っている人」になっていた。
他人を大切にするためには、まずは自分を大切にしないとダメだ。自分を犠牲にしなくても、人の役に立てることがあるかもしれない。苦手なことを頑張らずに、向いていることをするのは逃げではない。それに気づくことができた。そして、人付き合いが苦手な私でも、いろんな人に支えられているんだな、と。そのことにも気づいた。
夢を諦めるのは逃げではないのかという問いに、私は答えられずにいた
初めて、弁護士以外の道についても真剣に考えられるようになった。研修は続けていたものの、心は軽くなっていた。
しかし、そこからも葛藤が続いた。軽くなったと思った心もまた重くなっていった。目指していたものを諦めるのは逃げではないのか? ここまで来て本当に諦めてよいのか?
答えは見えなかった。私はどうすればよいのだろう……。答えを求めて、弁護士を目指し始めた場所である、高校にも足を運んだ。だけど答えは見つからない。答えは自分の中にしかないんだ、そう思った。
高校時代から今までのことを思い返す。そして、ふと気づいた。私は今までもずっとこうだったな、と。うだうだ悩んで、結局流されて決断をする、そうやって来たんだ。
それなら、今回もこのまま流されて、別の仕事でもいいじゃないか。弁護士になるのを諦めよう。そして、この選択をこれから正解にしていけるよう、一生懸命やればいい。そうしよう。心に決めた。やっと、決めることができた。研修が終わるまであと2か月にせまった頃だった。
そして、研修を終えて今。別の仕事に就いている。関わってくれる同僚に日々感謝しながら、自分のできることで人の役に立っていきたい。