どくどくと心臓の音が頭の奥で聞こえていた。緊張していた。
肩に置かれた柔らかい女の子の手は、日焼けを知らないのかというほどに白く、まつ毛が上にカールしている二重の大きな黒目は、かわいい女の子であろうとした努力が確かに感じられる。私はその黒目に映る自分と目を合わせた。
「うざいよ、いい加減」
毅然と言い放つつもりだったのに放たれた声は震えていて、顔は悪いことをしているような罪悪感に塗れた表情をしている。自分のショックはこれほどまでに鮮明に覚えているのに、彼女がどんな顔をしていたのかは思い出せずにいる。
苦手なボディタッチをやめてほしいのに、誰も本気にとってくれない
それは中学2年生の梅雨時のことだった。
いわゆるボディタッチが物心ついた時から苦手で、花いちもんめだのフォークダンスだのに日々頭を悩ませる子供時代を過ごしていた。深い理由があるわけでも病名が着くほど過敏な訳ではないから、曖昧に笑って過ごしてきたことが良くなかった。
中学2年生になってからの約半年、その女の子からのボディタッチが毎日毎日行われた。傍から見れば、仲のいい女の子同士がじゃれあっているようにしか見えなかったことだろう。やんわり断ったり距離を置いたりするものだから、向こうがそれに気づくとすぐさま距離を詰められてしまうのだ。
意を決して嫌だと言ってはみたが、私の言い方では本気にはとってくれやしなかった。事細かに説明しても状況は変わらなかった。
本人がダメなら、とクラスメイト一人一人に私が言っても「優しくしてあげてよ」と困ったように返ってくる始末。別のクラスの子に真剣に話したところで返答はだんまり。
そりゃそうだ、学年の中でも可愛くて気が強い女の子の前に立ちはだかってまで言えるわけがない。今後のことを考えても同級生をあてにするのが得策じゃないことくらいはわかる)。八方塞がりだった。
愛情表現だから何?「わかってほしい」という意思がポキッと折れた
自分でなんとかしなければならなかったから、来る日も来る日も説得を試みていた。これは決別する前日のことだったと思う。
「なんで私が嫌だからやめてっていうことをすんの?」
「え~? だって好きなんだもん」
「ほかの友達にはしないじゃん、他の子のこと嫌いなん?」
「そうじゃないよ。特別好きなんだよ」
直接ワケを聞いてみると、全く共感も納得できない答えが返ってきた。特別好きな人間に対して嫌なことしたがるってどんな性質しとん?と思った。
それが愛情表現だったとして、だから何だという話だ。
この瞬間に私をつき動かしていた「わかってほしい」という意思が、ぽっきりと折れてしまった。私が必死にこの感覚を言語化しても感情を伝えても態度や表情に出しても、何ひとつとしてこの人は受け取る気がないのだ。
自分は何を頑張っていたのだろう。私がこれ程受けとって欲しかった自分の感情は放っておく癖に、女の子は私に次の日もきっと「優しくしてよ」と笑って求めてくる。猛烈に虚しくなった。
もう歩み寄らない。寄れない。
「うざいよ、いい加減」。こんな言葉を言わせないで欲しかった
家に帰って親に泣きつくと、親は「あんたはあんたなりにちゃんと頑張ったんだからもういいよ」と私の背中を撫でてくれた。
優しくしたかったから言葉を選んだし場所を変えたし態度を変えた。ひとつでもその心に刺さって欲しかった。
「うざいよ、いい加減」
こんな言葉を言わせないで欲しかった。こんなことを言わせておいて、変わらずに「好きなんだもん」と肩を触れてくるようなことをしないで欲しかった。
そのままごめんねの一言もないまま、私は友達を1人失った。あの女の子にとっての私なんて所詮その程度の人間だったのだろう。好きだったらしいが、人間は結構冷たい。
でもその温度が1番心地いいのかもしれない。
教室から離れ制服を脱ぎ、1人で思い思いに過ごすようになっても私は笑えている。あの頃よりも日々を楽しく過ごせている。
あの日あの言葉であの女の子に歩み寄るのを止めたのは間違ってはいないのだ。