今年の夏は、以前の自分に戻ったような夏だった。
昔――具体的に言うと高校生までの私は、旅行なんてしない人間だった。わざわざ高い金を払って遠くの地に行って、それで何を楽しむのだろうか。世界遺産も絶景も、グーグルストリートビューを使えば見ることができるのに、と思うくらいに遠出をすることに対してネガティブだった。

九州に住んでいる私が九州以外の地に降り立ったのも中学と高校の修学旅行ぐらいだった。行動範囲も基本的に狭く、家と周囲の市町村、少し離れた県庁所在地のある市くらいのものだった。
人が多いところも好きではなく、人ごみから離れたところで本を読むのが好きな人間だった。

推し声優のファーストライブ。一人で九州から東京の地へ降り立った

高校を卒業して、大学生になった日。大学生と言えばバイトだ、という安直な思考で私はアルバイトを始め、少しずつ何に使うのかもわからないお金を銀行口座に貯めていた。
いざというときのため、とお金を貯めるときのお決まりの文句を言いながら貯蓄用の銀行口座にお金を入れる。これ、何に使うんだろう、と増えていく通帳の金額を見つめていた。

私は中学の時からアニメが好きで、その延長で声優さんのファンになっていた。
アニメのアフレコ以外にもアーティストとして歌を披露することも多い声優。私の、いわゆる「推し声優」も、アーティストとして活動していた。

そんなある日、推し声優のファーストライブが決定したのだ。それまで数年程活動していたが、一切ソロライブをしていなかった推しの突然のライブに、私は思わず飛び上がった。
もちろん行く。だって推しのライブなのだから。場所は東京・武道館である。

九州の地から飛行機で一時間半かけて東京の地へ降り立った。
羽田空港に到着した私は真っ先に「本当にここは東京なのだろうか」と周囲を見渡す。
実感が湧かなかった。たった一人で実家から遠く離れた地に、私はやってきたことの実感が、全くなかった。実はまだ九州にいて、ちょっと電車に乗れば実家に着く。そんな気がしてやまないほど、私はその時の自分の状況を疑っていた。

当時二十歳だった私は、出張で東京慣れしている父親から授かった羽田空港から目的地までの路線が書かれたメモを握りしめ、京急線に乗りこんだ。

地上の景色を見て、東京にやってきたと実感。東京の街にときめいた

東京にやってきた、という実感を得たのは、地上の景色を見たときだった。
見上げれば立ち眩みをするほど大きなビル。渡り切る前に信号が変わってしまうんじゃないかと思うほど広い道路。自分の住んでいるところより、遥かにスケールの大きな都心。日本で一番のアミューズメントパークだとすら思っていた地元の駅が小さく感じるほど、その街は偉大に思えた。

神保町に「こんな本好きの天国みたいな場所存在したんだ」と感動し、秋葉原の歩行者天国に目を丸くして、池袋の人の多さに困惑した。

とても、新鮮な気持ちだった。
あれほど理解を示していなかった高い金を払っての遠出に、こんなときめいたのは生まれて初めてだった。
ああ、これは高い金を払った意義があるなぁ、なんてひねくれた感想を浮かべながら私は東京の街を(もちろんライブも)楽しんだ。

遠い土地への羨望。コロナにより東京が昔のように遠くなってしまった

それから私はよく遠出をするようになった。東京以外にも、大阪や名古屋、神戸、などなど。そのほとんどがライブやイベントなのだが、ライブ前や後に周辺を散歩したり有名な観光地へ足を運んだりするのが通例となった。

本当に楽しかった。日本には自分の知らない土地がまだまだたくさんある。そう思うだけで胸が弾んだ。
2019年の年末にあったライブを最後に、私は九州の地から出ていない。明けた2020年の2月に本来なら東京に行くはずだったが、流行し始めたコロナウイルスによってライブは中止になった。東京の地が、昔のように遠い場所へと戻ってしまった。

私の生活は、以前のような引きこもり生活に戻ってしまった。
だけど、あの日と違うところがあるとすれば、遠い土地への羨望が、私の中で燻っている。