部活をしている思春期、学生は夏は毎日のように汗だくになって活動に励んでいることだろう。私も高校生の時はそんな毎日で、二階建ての体育館の一階で毎日のように踊っていた。
一階は比較的涼しいはずなのに、やはり真夏の活動はわずか5~10分の演目一つを踊り終えると吹き出るように汗が出たのを今でも思い出す。

岩手県伝統芸能の「鬼剣舞」は短時間でも負荷が半端ない演目だった

でも不思議なことに野外の本番中は汗はあまり出ず、出番が終わってから汗が流れた。
あれはなんだったのだろうか。もしかしたらモデルが撮影中に汗をかかないなんて話に類似して、「人間は汗をかくタイミングを本当はコントロールできるのではないのだろうか」なんて思ったりもした。

どの演目でも毎回汗はかくのだが、中でも東北の伝統芸能の一つの「鬼剣舞」という演目は体幹や下半身を重点的に意識して動く演目で、短時間でも負荷が半端ない。引退してから遊び半分で後輩と踊ったら、翌日は筋肉痛が酷すぎて起き上がれなかったほどだ。

東北は伝統芸能の聖地とも言われるぐらい地域芸能が多く存在していて、その中の代表的なものの一つに岩手県の「鬼剣舞」がある。
本来なら18の演目で構成されているもので、その流派(地域)も10以上、踊りに取り組んでいる団体も日本各地に存在している。一演目10分前後で一人踊り、二人踊り、それ以上の複数人(1グループ最高8人が主)と人数構成も様々。

面は怖い表情だが実は鬼ではない。大日如来の化身である五大明王の顔で、陰陽五行の五色になぞられて五色の面がある。威嚇的に鬼のような面で勇壮に踊ることから、鬼剣舞と呼ばれるようになったようだ。

正式には「念仏剣舞」という部類で死者、先祖供養や悪霊を払うために踊られてきたものでもあり、鎌倉時代ごろに始まった風習のようだが、今日でも各地に多種多様な形で伝承されている。

踊りに集中する心地良さ。終えた瞬間に感じた疲労感以上の爽快感

日本の伝統芸能は、静かに体の内側からの力を引き出す動きが多いのが特徴ではないかと、私個人は思う。他にも私は中国舞踊部もかけもちで取り組んでいたのだが、中国舞踊はバレエの要素が強く上に上にと伸びるような動きがあるが、日本の芸能はその逆、下に沈む動きだった。下に意識を集中するのは現代の生活ではあまり馴染みがない動きで、最初は一回踊っただけでとてつもない疲れを感じていた。

慣れてくると、踊りに集中している時間がとても心地よくて、太鼓の音と周囲の仲間との呼吸を合わせて意識を一心に集中することで文字通り「一体」になる感覚があって、踊り終えた瞬間、疲労以上に爽快感があった。

昔水泳をやっていたのだが、長距離を泳ぎ終えた感覚に似ていて、自分の中が空っぽになるような心地だった。霊的に言えば憑き物が落ちた……ような感覚かもしれない。

他者と一体になるという不思議な感覚。特別で忘れがたいものだった

私と鬼剣舞の出会いは部活ではなく授業だった。母校の高校は、中高一貫だったので六学年あり、すべての学年の体育の授業で年に一演目ずつ日本の芸能を習う。伝統を知ること、自分の体を動かすこと、自分と他者はどう違うか…カリキュラムに芸能を組み込んでいるのは各学年テーマがあってそれにそって自分と対話し、考えながら動き、知るという独特な体育だった。

そして高校二年の冬、習う演目は鬼剣舞だったのだ。
当時の公演メンバーは私を含めて4人。1グループとしてちょうどギリギリの人数でみんな同じクラスだった(全6組)。みんな踊りが上手く、しかも紅一点だった私は、見劣りしないように必死に練習した。基本四人で踊って練習したのだが、自分以外の動きを常に意識し、なるべく自分が三人に合わせるようにした。遅れないように、早すぎないように。

踊り出しは四人で正方形の四点に位置を取り、両ひざを曲げて、右膝を前に、左膝を横に開き、左のかかとに体重を乗せた姿勢でしゃがむ。これが地味にきつい。私は後列の右側の位置で、周囲の動きを見れて動くには一番やさしいポジションだった。一番上手い男子の後ろで、前の二人を前半は意識して動きを合わせた。後半はその四点を時計回りに移動しながら踊るので隣の男子と前にいた男子と間隔を均等になるように動く必要があった。

その移動しながらの動きは、そのあたりからラストにかけて、次第に四人が一体になっていくような感覚が湧き上がる。互いに呼吸と動きを意識して、ちょうどよくなるように調整してポジションをとり、また動く。それを繰り返し、最終的に最初の位置に戻ってラストの動きになるのだが、最後の太鼓の音で「ふっ」と、力を抜くように頭を垂れた瞬間「終わった!」と「気持ちがいい!」という感覚が同時に襲ってくる。やり切った感もあるが、動きが揃って気持ちがいい感が自分は強かったかもしれない。

公演の数か月後に記録を見返したら四人の動きが綺麗にそろっていて我ながら感動したのを覚えている。同じ衣装、同じような面を着けているので一見、誰が誰なのかわからないが三人よりも少し小柄な自分はその特徴で見分けがつく。むしろそれしか見分ける基準がないぐらい四人が一体的になっていた。

鬼剣舞自体は二年生の後半から取り組んだ演目で一年そこそこの付き合いしかなかったが、今でもなんとなく踊れるぐらい体に染みついている。それだけ踊りこんだし、大事にしていた演目だった。

メンバーがクラスメイトで、高校最後の1年で、思い入れが強くなったのは必然的だったのかもしれない。

一人で踊った演目、他にも複数人で踊った演目はたくさんあったけど、他者と一体になるという不思議な感覚を味わった鬼剣舞の汗は、私にとってある意味特別で忘れがたいものだった。

あのような経験を得られる汗はその後の人生ではきっと巡り合えないだろう。