小学3年生の頃、宿題の日記を書くことが好きだった。書けば書いただけ先生が褒めてくれたのが嬉しかったからだ。

もっと先生に褒めてもらいたくて、チラシの裏に4コマ漫画を書くようになった。先生に見せようと学校に持っていくと、周りの子達には茶化されたが、とにかく先生に見せたくてたくさん書いた。

高学年になると、学級通信にしばしば作文を載せてもらえるようになった。その先生も私の文章を面白いと褒めてくれた。ちびまる子ちゃんが大好きだったから、さくらももこさんのエッセイを読むようになったのもこの頃で、その影響を多大に受けた少々毒のあるエッセイ調の作文をもりもり書いた。

小学生の頃から作文を褒められたのに、高校生になり評価されなくなった

中学に上がっても、国語の先生は私の文章をよく褒めてくれ、これまた学級通信によく載り、作文で賞を取ったこともあった。書けば書いただけ、誰かが認めてくれた。

当時の私の作文は周りの子達が書く作文とは一味違い、批判や、心のうちに秘めていたことも、全てルールなくただ自由に書いた。体育も勉強もそんなに得意じゃない私が、唯一文章を書くことだけは好きだった。

高校に上がると、急に評価されなくなった。読書感想文をはじめとしたあらゆる作文で、評価されることもなくなった。それどころか、書いた作文を直されることもよくあった。私は急に書くことに自信がなくなった。

それもそうだ、私が書いていた文章は、先生が勝手に「答え」として持っている高校生的な国語力とは少々離れているのだ。いつしか、「こう書けば良いんでしょ」というのを掴むようになったが、面白くはなかった。文章を書くことは、答えがないという部分に面白さを感じていたからだ。

文を書く仕事には就いていないけど、「文章力」はとても重要なもの

この頃から誰に見せるでもなく、つらつらと思ったことをノートに書くようになった。恋愛のこと、勉強のこと、人生のこと、未来の自分について、まぁ色々と書いたが毎回読み返すと恥ずかしくなって一冊書き終わるとすぐに捨てた。誰にでもある思春期の黒歴史、の私バージョンはこれだろう。

漠然と、文を書くことを仕事にしたいと思っていた。中学生までは。だから大学は、文芸学科に進もうと思っていたが、高校で途端に自信がなくなった私は全く違う分野の大学に入り、「文を書く」という分野からは程遠い仕事に就いた。

それでも社内資料など、文を書くことからは逃れられないのが日本の会社員なのだ。事業の内容や提案わかりやすく書くといったことが多く、エッセイとは違い、主観が入ることはほぼない。しかし、文章力というのはどこに行っても非常に重要なものだとは大人になり改めて感じさせられる。

他にも、誰かに何かを伝える全てのタイミングでそれは感じる。会話、メールやチャット、お手紙でも発揮される。私達は誰かに何かを伝えるというコミュニケーションからは逃れられない。

大人になった今では、文章を書くことが私の「逃げ場」になっている

褒められたくて書き始めた文章だったが、褒められなくなったとき、私はあっさりと「書くこと」から逃げた。今思えば、平凡な私が周りとの違いを表れせていた瞬間は本当に唯一文章だけだった。

そして、大人になりまた文章を書くようになった。今度は、文章を書くことが私の逃げ場になっている。今は自己満足で書くようになったのだ。

これからも、「書くこと」が人生の傍にあればいいなと思う。