「こーこーろ、こころ!あーつーく、あつく!」
コートの外から聞こえる応援の声。仲間が見守る中、私の目線は常に相手から離れなかった。
集中、集中。自分に言い聞かせて、また、ライン際ぎりぎりのボールを追う。
顎先にたまっていた汗はコートに落ちた。

テニスを始めたのは、小学3年の夏だった。今となっては記憶が曖昧だが、学生時代にテニスをかじっていた両親の影響だろうか。実家の本棚に並んだ有名なテニス漫画を、何度も何度も繰り返し読んだ覚えがある。

またあいつらか。バスケ部に入った私は同期から嫌がらせを受けた

地元の中学校には、残念ながら硬式テニス部がなかった。悩んだ挙句、テニスの次に好きなスポーツ、バスケットボール部に入った。

「センスいいね」。部の先輩からも、顧問の先生からもそう言われた。素直に嬉しかった。もともと運動神経は良い方だと思っていたが、学力以外で褒めてもらったのはあの時が初めてだと思う。
しかし、暫くして同じ学年の部員からの嫌がらせや、実力を重視しない顧問と衝突することに。

同期からの嫌がらせは、おそらく私が複数の先生から贔屓されていると思われたことが原因だろう。

入学してから常に成績は学年トップ。それなりに荒れた学校で、授業中にやんちゃな生徒が教室から脱走した際には、追いかける先生から、代わりに授業を任されることもあった。そんな私も、風紀の面では、やんちゃな生徒らと同様にスカートを膝丈にまで折っていた。

しかし、先生からのお咎めは他の生徒より少なかったように思う。贔屓されているのだろうか。嫌がらせされても仕方ないかもしれない。お弁当を隠されたり、お気に入りの文房具を盗まれたり。特に怒りを感じることはなく、もはや呆れながら自分のものを取り返すなどして対応していたが、ある日、自分でも驚くほど突然、私は爆発した。

くすくす笑う声が教室の反対側から聞こえる。またあいつらか、そう思いながら消えたお弁当箱を探した。

その日は、物静かなクラスメイトの机に隠されていた。小さく「ごめん」とつぶやく声がした。プツンと音がした気がする。考えるより先に私の足は後ろにあった椅子を蹴飛ばしていた。

「なんで他の人を巻き込むの?」
静まり返った教室に、その声はよく響いた。翌日から、これまでのことが嘘だったかのように何も起きなくなった。

レギュラーにはなれない現実。私は顧問を論破できず、退部届を提出

嫌がらせはなくなったが、部活動をめぐる悩みは他にも。
バスケ経験は浅かったが、同期の中では誰よりもシュート率が高く、スタミナにも自信があった。ただ、土日の練習試合などに頻繁に塾の模試が被り、欠席がほかの部員より多かった。

「試合で点数を取ってくれるだろうとは思う。勝つためには、正直先生もあなたを試合に出したい。ただ、欠席が多い生徒をレギュラーメンバーにすることはできない」
まだクーラーのなかった夏の職員室、開いた窓から聞こえるうるさいほどの蝉の声にまぎれるように、レギュラーにはなれない現実を突きつけられた。

「おかしい。試合に勝つことが何より大事じゃないのか」
30歳ほど上だったであろう女性顧問を前に、私は結局、論破することができなかった。
それから半年も経たずに、私は退部届を提出。顧問は引き留めてくれたが、レギュラーを選ぶ基準は変わってなさそうだった。
紙切れ1枚、それが私の最後の異議主張でもあった。当時の自分の選択を、後悔はしていない。

以前通っていたテニススクールに戻ってからは、これまでの楽しむテニスから、勝つためのテニスを意識するようになった。徐々に自分の得意なプレイスタイルを自覚。男子からエースをとることもある、速いサーブとバックハンドのストレート。そしてダブルスでは、前衛でのボレーに自信をもっていた。

進学し硬式テニス部へ。生徒会長を務めていた私は顧問の警告を無視した

地元の進学校にあがり、迷うことなく硬式テニス部へ。そこで私は、自分が大海知らずの蛙だったことを思い知る。全国大会どころか、県大会に出場できるような実力すら私にはなかった。

昔から何に対しても負けず嫌いで、テストが97点だっただけで悔しいと思う私が、それでも腐らずにテニスを続けられたのはなぜだろうか。転機は高校2年の夏だった。

「生徒会に立候補するなら、レギュラーから外すぞ」
何年か前に聞いたようなセリフだ。既に半年間、生徒会長を務めていた私は、さらに半年、文化祭に向けて文化委員長をやりたいと表明していた。公式試合が多くなる夏を目前にして、だ。

構うもんか、絶対に試合に出てやる。顧問の警告を無視して、私は再び生徒会に立候補。無事に当選し、文化祭に向けて多忙の日々が始まった。
もちろんテニス部の活動より、学校全体、地域にもかかわる文化祭の準備が優先だ。練習には、試合直前の1週間程度だけ参加するという、随分我儘なスケジュールを送った。

蝉の声が聞こえる。コートの隅、木陰になっている角に男女両方の部員が集められた。
公式戦のレギュラー発表だ。個人戦は全員がエントリーできる。重要なのは団体戦のレギュラーに選ばれるかどうか。

レギュラーに選ばれた。いつかの屈辱を晴らせたような感情を抱いた

「女子、シングルス1……」
張り詰めていた緊張がフッとほどけた。知らず知らずのうちに、爪の跡が残るほど強く手を握っていたようだ。

どうしてレギュラーに選んでくれたのか。帰り際に聞いてみた。
「勝つためには、お前のプレイが必要だと思ったからな」
練習に参加した日数は、おそらく他の部員の半分にも満たなかっただろう。その分、微々たる努力だが、夜に自宅で素振りをしたり試合動画を見たりして、自分なりに勘が鈍らないよう心掛けた。
そのおかげなのだろうか。いつかの屈辱を晴らせたような、大げさだろうが、本当にそれくらいの感情を抱いた。

「いっけーいけいけ!おっせーおせおせ!」
後輩の声援が耳に響く。だめだ、負け試合だ。
県大会に進むための予選。明らかに相手は全国区レベルの格上。額から溢れた汗が滝のように頬を伝う。まだ、諦めるには早い。

1本、また1本。何とか1ゲーム取り返したものの、敵わなかった。
たぶん、これまでで一番アツい夏が終わった。