精神の健康を害し、留学を途中で諦めることにした今年の夏は、まだ調子が戻らないのに、一人でスイスに戻って完全帰国の手続きをする、という試練の夏になった。
パンデミックのせいで、やりたい事もほとんど出来ない留学生活だった。
だからルツェルンの寮の部屋を引き払った後、最後に13日間のスイス旅を決行することにした。

帰国前にスイス旅を決行。私の「旅欲」がどんどん満たされていった

8月1日、ルツェルンの友人にスーツケースを預かってもらい、まずジュネーヴへ向かった。
ジュネーヴはスイスの西の端にあり、私の先生が学生時代を過ごした街である。どんなところで先生が学んでいたのか、ずっと気になっていたから、ここから旅を始めることにした。
フランス語圏の街は、ルツェルンとは全く違う雰囲気を纏う、美しい街だった。
その後は、レマン湖を沿ってモルジュ、ローザンヌと巡り、ツェルマットでアルプスを堪能し、シュピーツ、トゥーン、ベルン、オルテン、そしてバーゼル。

一人ぼっちで毎日、初めて来た街を歩いていると、小さい頃に「旅人になって世界中の街を旅したい」と夢見ていたことを思い出した。昔から旅が好きなのだ。
重たいリュックを背負って、色んな街の美術館、城、教会をひたすら巡る。パンデミック以前はふらりと遠出することもあったが、2020年以降はそれも出来なかったから、枯渇していた私の「旅欲」もどんどん満たされていった。

大好きな先生に会えていない心残り。勇気を出して会いに行ってみた

ルツェルンに戻ってスーツケースを回収し、最後にチューリッヒに向かった。そこでPCR検査を受けて私の旅は終わりだったのだが、ふとまだ心残りがあることに気がついた。
実はまだ、私は大学に籍を残している。それなのにルツェルンでお世話になっている先生に、休学する直前の今年の2月から、ずっと会えていない。
さらに連絡無精である先生からは、メッセージの返事ももらえておらず、ずっと相談もできずにいた。

日本で精神的に1番不調だった時、「私はこの先、もう二度と先生に会えないかもしれない」と思うと悲しくて泣いた。それくらい私は、先生が大好きだ。
夏季休暇中なので普段スイスに住んでいない先生と会うのは諦めていたが、仕事で近くに来ているとの情報を得て、会うなら今日が最後のチャンスだ、とPCR検査を受けた後、その足で勇気を出して会いに行ってみた。

私が急に現れたので先生は驚いていたが、「まあ座りなよ」と迎えてくれた。そして体調のことを説明し、これからどうするか決めかねていることを、話すことができた。

先生はたくさんの優しい言葉をかけてくれた。休学前の私の勉強態度を褒め、そして「学位を取ることが、全てではないよ。けど、戻ってきたかったら、僕は心から迎え入れるからね」と言ってくれた。
先生に会えたことで、一度に色んな感情が溢れた。会えて嬉しい気持ちと、途中で諦める選択をした虚しさ。全てが終わってホッとした気持ちと同時に、大きな喪失感。
そして頑張って先生と学んでいた時の感覚が蘇ってきて、悲しくて涙が出た。

先生とハグでお別れ。第1章のフィナーレを素敵な旅で終えられた

別れの直前に陰性証明がメールで届いたので、久しぶりにしっかりハグしてお別れすることができた。
大きな背中に手を回して、次はいつ会えるのだろうと考えながら、その感触をしっかりと堪能した。国境も国籍も人種も超えた先生との師弟関係は、私の宝物だ。

今年の夏は、まるで物語の第1章が終わってしまったような感覚だった。まさに人生の節目である。
しかし節目が来たからといって、初期化されるわけではない。今の私の上に、また新しい物語が始まるのだ。

第1章のフィナーレを、素敵な旅で終えられた。だから第2章は、もっと素敵な物語になることを願う。