私が歩みを止めたとき、同級生達は歩みを進めていた。
ほとんど自明の結果ではあったが、私は改めて愕然とし、絶望した。
それは、大学受験に失敗した時だ。共に勉強し励まし合ってきた同級生達が新生活を始める中で、高校を卒業しても同じ場所で毎日ひたすら勉強をし続ける生活は、まるで自分がダメ人間の烙印を押されたかのようなダメージだった。
選ばれなかった人間の生活は、時間も規則も、何の縛りもないようで、毎日単調に勉強し続けるしかないという、精神的にも肉体的にも呪縛に満ちた日々だった。
確信した自分の道に進むため、予備校で毎日ひたすら勉強の日々
「志望を変えた方が良いんじゃない?」
センター試験が終わった後、担任は言った。しかし、夢というような大層なものではなかったが、私は自分の道を確信していて、学校はともかく学科を変えるようなことはしなかった。
日々の模試や成績からおおよその検討はついていたが、私はそのまま大学受験に挑み、結果、見事に不合格。浪人することが決まった。
仲の良い友人達も何人か浪人し、浪人仲間がいないというわけではなかった。
とはいえ、浪人は自分との闘いだ。多少心強いところはあるが、毎日どこか孤独で、自分の人生としても何一つ進んでいない空白の時間に虚無感を感じて涙が溢れてきたものだ。
私は、志望校に強いと言われる予備校に通うことにして、毎日ひたすら勉強の日々が始まった。
予備校では、高校時代には軽く話す程度だった同級生と仲良くなり、一緒にお昼を食べるようになった。毎日根詰めて勉強する中で、くだらない話をして気を抜くことができる友人は貴重だ。
しかし同時に、同じ学科を目指す私達は良きライバルだった。お互いに質問したり、教え合って支え合う一方で、テスト結果は上位者のみランキングで公開され、私達に現実を突きつけた。お互いに切磋琢磨し合える一方、テスト結果公開直後はどこかダメージを受けたり密に喜んだりして、複雑な気持ちだ。
私達は、なるべくテスト結果には触れないようにしながら、談笑しながらお昼を食べて、またひたすら勉強するしかなかった。
止まった時の中で得たものは、かけがえのない友情といくばくかの自信
一度、仲の良かった友達とテストの点について話してしまったことがあった。
「このクラスに今回テストの点が一番だった人がいます。〇点です」
普段ならそのようなセンシティブな話題には乗らない生徒達も、先生があんまりその話題で引っ張るものだから、誰だ誰だとざわつき始めた。その教科が得意だった友人と、さして得意ではない私。そのテストに関しても自信が全くなかった私は「きっとあなたが一番なんじゃない?」と無責任に言って笑った。
テストが返却され、蓋を開けてみると果たして結果は私が一番だった。多少自信もあり期待があった友人と私の間には、当然気まずい空気が流れ、私は彼女の静かな闘志を知ることとなった。
「やっぱり誰かの成績に関して期待のこもった発言はするべきではないね」
多少けんかっぽくもなり、落ち着いて仲直りした後、私達の出した結論だった。
毎日ひたすら勉強してそのような静かな闘いを1年間した末、私は大学に受かった。友人は、その年は希望するところに合格しなかったが、翌年合格した。
私達が止まった時の流れで得たものは、かけがえのない友情とわずかながらの自信だった。
正しい努力をすれば必ず何か得るものがある。やったことしか出すことはできない。
私が歩みを止めたとき、私は確実に成長していた。