「地元で頑張らないのですか?」
就職試験での面接官のこの問いかけに私は困惑した。
私の地元、つまり故郷とはどこだろう。

「私のふるさとってどこ?」小さなころからの疑問を両親にぶつけた

私は富山県に生まれたが、父の仕事の都合で福井県に引っ越し、県内を何か所か転々として、石川県の金沢市で5年ほど暮らした。
両親がともに生まれ育った富山県に永住を決め、私は物心ついて以来初めて一軒家に住むことになった。大学進学を機に再び金沢で暮らし、そのままそこでの就職を試みたのだ。そして冒頭のやり取りだ。

これまでの人生で暮らした期間が一番長い場所で就職することはごく自然だ、と私は思う。故郷ってどこだろう。やはり生まれた場所が故郷であるべきなのだろうか。もやもやした。
この場面以前にも、私を困惑させることはたくさん起こった。

「郷土の歴史について学ぼう」という小学校の授業。
「ねえ。やっぱ地元で免許取る?」という友人の会話。
私のふるさとってどこ。その疑問を両親にぶつけると、母は、「お父さんとお母さんがいる富山があんたの故郷なんだよ」と言い、「引っ越しばっかりで辛かったな。ごめんね」と父はうつむいた。

そんな私がついに故郷が何か自分なりに答えを得たのは、婚約して私の実家へ挨拶に向かう道中だった。

孤独な時期を思いださせるはずの立山連峰を初めて「美しい」と思った

石川県生まれ石川県育ちの彼と婚約し、車で富山県の私の実家へ向かう。その日は冬の寒い日だったが、空が晴れていて、車から立山連峰が見えた。
「立山連峰、きれいだね」

彼が言った。中学2年生の夏という中途半端な時期に富山県に引っ越し、新しい環境になじめず学校に行くのが嫌だった中学時代に、通学路で毎日見ていた立山連峰。校舎をバックに聳える立山連峰は、まるで私の行く手を阻む壁のように見え、閉塞感を覚えた。富山県が誇る名勝は、私にとっては孤独な時期を思い出させるものでしかなかった。

しかし、その日の私は初めて心の底から立山連峰を美しいと思った。なんと気高く美しい山だろうか。
婚約で気持ちが高揚していたことだけが理由ではない。もはや古い考えかもしれないが、嫁に行くという言葉が指すように、結婚するということは、夫となる人の家族となること。
それは同時に、自分を育てた両親がいる家族を巣立つことであり、両親に守られたぬくぬくとした子ども時代が終わるということだと思う。

この感傷と覚悟が、両親がいる富山県という場所を、その場所を象徴する立山連峰を美しく見せたのだろう。
ああ、やはり母の言葉は正しかったのだ。故郷とは場所いわばplaceのことを指さないことがあってもいいのだ。かけがえのない子ども時代――子どもらしい無責任な気楽さやただただ守られている安心感をくれた、生まれ育った家族そのものが、故郷なのだ。私の故郷なのだ。

家族との生活を懐かしく感じるときは、故郷を懐かしむ瞬間にもなる

故郷とは何か。その答えをようやく得ることができたのは、私に生まれ育った家族のもとを離れ、新しい家族を築いていく覚悟ができたからなのだろう。私は成長したのだ。それは外からわかる成長ではないかもしれないが。

故郷を懐かしく愛しい目でみつめられるのは、今の生活があるからだ。結婚してようやく1年が経つが、私の新しい生活は新鮮な驚きと楽しさに満ち溢れている。

夫婦という形を成したばかりの未熟な個体同士は、当然互いを100%理解しているわけではなく、たくさんのちいさな違いがあることを発見し歩み寄っている。眠るときは豆電球をつけておきたいとか部屋を真っ暗にしておきたいとか、お米は固めが好きとか柔らかめが好きかとか。ちいさなことだが、ああやはり違う故郷で育ってきたのだなと感じる。

新しい生活は充実しているが、ふと生まれ育った家族との生活を、つまり何もかも知り尽くした者同士との暮らしを懐かしむことがある。これがいわゆる故郷を懐かしむ瞬間ではないか。

ひよっこ夫婦も長い年月を積み重ねて、どちらの故郷とも異なるが居心地の良くてしかたない家族をつくっていくのだろう。やがてそこから巣立つ者にとって愛すべき故郷でありたい。