「もう少し、学生の時にちゃんと勉強しておけばよかった」という人がたまにいる。
私は幸運にも、そう思ったことは一度もない。むしろその逆で、いやになるほど勉強をしてきた、という自負がある。

それだけ勉強をしてきたなら、よっぽど頭が良いのだろう、と想像する人もいるかもしれないが、残念ながらそこまでではない。中の上くらいだ。
むしろそのくらいのレベルだからこそ、勉強を頑張ろうと思えたのかもしれない。
振り返れば、勉強ばかりしてきた人生だった。

今まで頑張ってきたことは、勉強。他には何も思いつかなかった

大学生も終わりに近づいた頃、知人に今まで頑張ってきたことは何か、と聞かれた。少し間があったのち、勉強かな、そう答えた。
聞かれてすぐに勉強だと思ったのだが、他に何か頑張ったことがないか記憶をたどっていたのだ。思いつかなかった。

小学校の四年生くらいから、その歴史は始まる。公立小学校に通っていた私は、私立の小学校の編入試験を受けることにする。塾にも通わず受けた試験は不合格に終わり、そこから今度は私立の中高一貫の学校に入るために、塾に通い受験勉強を始める。

少しずつ勉強が日常に溶け込んでいった。学校の授業が終わったら、塾へ行く。この繰り返しだった。
合格した学校はいわゆる進学校であった。定期試験の前はいつも夜中まで勉強した。両親は先に寝ていた。また、定期試験がなくとも、宿題や小テストなど何かしらがあり、勉強が常に身近にあった。

高校生になり、少しずつまた受験の足音が近づいてきた。大学受験の勉強も中学受験の時と同じだった。家と学校と塾の往復。

周りの友達は自分よりレベルの高い大学に合格してそのまま進学していったが、私が受かった大学はそこまでではなく、自分自身がそこに行くことに納得出来ないという気持ちがあった。だから私は、一年間浪人をすることにした。この一年間が人生で一番勉強した。

もう勉強をしたくない。就職を考え始めた頃、自分の心の声を知った

高校生の時に行っていた予備校とは別の所へ通い、一日のほとんどを予備校で過ごした。授業がなければ、予備校の自習室にいた。
一日大体十時間ほど、一年間続けた勉強は三月の試験を最後に終わった。その期間、遊んだのは数回ほどだったと思う。こうして、私の勉強の歴史は幕を閉じた。

本当の幕引きは大学生の時、就職について考え始めた頃だ。やりたいことも特にない私は、父親から、公務員はどうか、と提案された。父親が公務員だったからである。間髪入れずに私は断った。

もう、勉強はしたくなかったからだ。数日勉強したくらいでどうにかなるなら違ったかもしれないが、そんな試験ではないと知っていた。

断った時に初めて、自分がもう勉強をしたくないと思っていることを知った。勉強を続けてきた過去に対して自分自身がもう十分である、と心の底から言っているのだなと思った。だからそれに従った。

自分の心の声を聞く暇もなかった。物事を継続することで得られたこと

思えば、幕が上がった時からろくに休憩も挟まずに勉強をし続けてきた。だから、自分の心の声を聞く暇もなかった。そう思っていることにも気づけなかった。

特に取り柄もなかった自分には勉強をするしかなかったから、それが当たり前だった。周りにはいつも自分より出来のいい人がいて、その人達の背中を見ていた。追いつくことは出来なくても、それなりの結果を出せるのが勉強だった。今思えば、それは私の勉強量に裏打ちされていたのだろう。

正直、勉強をして得た知識がどんな場面で役に立つのか、それは分からない。
だが、物事を継続すれば、ある程度のレベルにはいくことが出来るということを知った。これは、知識以外で私が勉強から学んだことである。もし、いつか誰かから勉強が何の役に立つか聞かれたら、そう答えようと思っている。

そして、勉強から離れた私が今、継続しようとしていることは文章を書くことだ。このエッセイもその中の一つ。そしてそれが、何かしらの学びや結果をもたらしてくれると信じながら。