私にとって大人の階段とは。その渦中で時々、いろいろな「もの」が暴力的にぶつかってくる道である。
結構痛い。しかも、一番上が「死」となっていて、かつ一方通行の恐ろしい道と思っている。
「この世界の片隅に」という映画を観て、主人公と友人を重ねた
人は生まれると、親切な大人たちに「階段」の上り方を教わる。その終点を知らないまま。立ち方、足の裏の使い方、膝の曲げ方、太ももの筋肉の使い方。疲れたときは、休むことも。
ただし、ひとたび自分で上れるようになると途端に、周りの大人はいなくなり、自由にされる。困ったことに、上るスピードも階段の長さも、途中で非常口から逃げるかどうかも、自由に決定することができる。それでも私にとっては、上に上がる、以外はない。
2021年8月15日、「この世界の片隅に」という2016年公開のアニメーション映画を観た。その日が終戦の日だったからではない。戦争関連の映画を観たというツイートを見たから、引っ張られただけだ。
戦争ものは苦手だったが、この連休は雨続きで、アマゾンプライムビデオの中をうろうろする以外のやる気がないという状況が、たまたま私をそうさせた。
その映画は、18歳のすずという女性が、終戦前後の日本で持ち前の朗らかさを絶やさずに懸命に生きていく姿が描かれていた。柔らかいタッチの絵と、当時の耐え難い状況とのギャップに、一層のこと、心が痛んだ。
すずの朗らかさに惹かれた。私とは違う。ホンワカしてのんびりした表情。その表情を裏切らない優しい性格。不器用で、失敗しても、ふふって笑う。すずの性格と、友達の姿をいつのまにか重ね合わせていた。
大人の階段を上る途中で、避けられない大きな「もの」がぶつかっても
その友達は、1年以上前に交通事故で他界した。今までの「階段」の中でぶつかってきた「もの」の中で最も大きく、かつ最も鋭く突き刺さる形状をしている「もの」だった。
「あぁ、また会いたいな。どこにいっちゃったかな」。心の中に定期的に流れるつぶやき。映画を観ながら、友達に会いたいと感じた。
なぜだろう。映画で描かれている人たちは、すずを含め全員が、悲しみと共に生きていて、陳腐な言葉を使えば、「共感」したのかもしれない。
すずの台詞の中で、特に心に残ったものがある。終戦を知らせるラジオを聞いた後に、唯一彼女が感情を荒げて怒りと悔しさを露わにした場面だ。「ぼーっとしたうちのまま死にたかったな」。
大人の階段を上る途中で、何か避けられない大きな「もの」がぶつかってきたとして、その痛みを抱え、癒しながら工夫して上るのが大人だと思う。人それぞれ、ぶつかってくる「もの」の大きさや量や感じ方は異なれど、誰しもが経験しているのではないだろうか。
「ぼーっとしたうちのまま死にたかった」とは、階段を上ることで「ぼーっとしたうち」から、「ぼーっとしていないうち」へ変化したということだ。耐えられないほどの痛みを伴って。
「死にたかった」けど死なないのは、階段を上ることで変化した自分で、まだなおのこと、階段を上っていくしかないという葛藤を示している。葛藤。私も同じ、と思ってしまった。
私もぼーっとしたまま死にたかった。友達に重ね合わせていたすずの姿を、いつのまにか自分と重ねていたことに気づく。
歴史の中で積み上げられてきた「悲しみの量」に圧倒されそうになるけど
映画を観終わったとき、夜だった。大きな悲しみの中でもなお生きる理由は、なんだろうか。家族だろうか。この世界への好奇心だろうか。一つ言えるのは、この階段は、独りで上っているわけではないということだ。
手を合わせて目をつぶりたい気持ちになった。すずのような人がいてこそ、今の私がここにいるのである。
けれど、どこに向かって手を合わせればいいのか、何を唱えたらいいのかわからず、また私は困ってしまう。これまでの歴史の中で積み上げられてきた悲しみの量に、圧倒される。飲み込まれてしまいそうだ。
電気を消して、ベッドに仰向けになる。照明の消えた直後の弱い青い光が気持ち悪かった。無数に光る悲しみの中で、「それでもまだ、この階段を上るのを絶対に止めない」と、雑に誓って目を閉じた。