突き抜けるような青い空、生い茂る木々、蝉の大声、教会の鐘が鳴り響く。大学4年間を過ごした四谷は、喜び・悲しみ・寂しさ全てが詰まった、紛れもない「ふるさと」である。

ふるさとでの時間は夏のように輝き、一瞬で過ぎ去ってしまったから、なおさら四谷は愛おしいのだろう。死んだら、霊になってうっかり降り立ってしまわないか心配ですらある。

第一志望の大学に落ち、失意の私を変えてくれた「初めての恋人」

「ハルは、これから1番楽しい時期なんだね。羨ましい」。大学1年の春、地方から大都会のど真ん中・四谷へ移り住んだとき母が言った。

正直、第一志望の大学に見事に落ち、失意の中何を羨ましがられているのか分からなかった。人生で初めての大挫折、なぜ自分がこんな場所にいるのか不思議にすら思う、苦しい日々だった。

そんな状況が変わり始めたのは、ありがちではあるが初めての恋人ができたからだ。四谷は見事に彼に染められていった。

「東京は古いものも新しいものも何でも揃っている」と彼が言った通り、四谷には豆腐屋や氷屋、迎賓館赤坂離宮から、当時ブームの片鱗を見せていた油そば屋やホットヨガスタジオ、シェアサイクルステーションまであらゆるものがあり、いちいち感動した。

また、四谷のほど近くには都会のオアシス、新宿御苑もあった。そこを舞台とした新海誠監督の映画「言の葉の庭」を彼から教わり、もれなく思い出の地となった。だが、そんな恋も、同監督の「君の名は。」が公開されたある夏、終焉を迎えた。

別れの先には出会いがある、私は「最高の友人」を手に入れた

誰しも人生のある時ある時には、一緒にいた人や出来事に紐づくサウンドトラックがあると思う。私の場合、失恋真っ只中のあの夏を思い返すと、RADWIMPSの「前前前世」が大音量で再生される。

その映画で主人公達が再会するラストシーンの階段は、私のアパートの近所にあったし、主人公が待ち合わせした四谷駅前で、私も彼と待ち合わせしていた。また、上京した主人公の目に映るキラキラとした東京が、私の目に映る光景とまるで同じだった。

それからほどなく、失恋と同映画の話題をきっかけに、私は最高の友人を手に入れた。別れの先には出会いがあるものだと、心底感心したものだ。この友人が私の大学生活を彩り、途方に暮れた時には私を救い出してくれた人だった。

鮮烈な四谷デビューから、着々と私もこの地に馴染み、教会の鐘にも、通りすがる人達の交わす外国語にも何とも思わなくなった。四谷だけゆったりと時間が流れているかのように、私はとにかく暇を持て余した。その頃何に悩み、何を考えていたのかなどはすっかり忘れてしまったが、あの人生の夏休み中の夏休み、大半の時間をごろごろと過ごした時間ですら、今となっては青春といえる。

今、四谷とはほど遠い場所に住んでいるが、切なく愛おしい「ふるさと」

大学3年の春、留学生の恋人ができた。彼もとにかく四谷が好きで、とりわけ四谷にあるたい焼きの名店の味を気に入っていた。彼は、グローバル人材らしく柔軟な考え方をし、自分を軸にして生きられる人だった。

社会で生きていくには、難事をうまくかわす・逃げるなどして自分を守っていかなければならないようだ。私は、その術を彼から少なからず教わったように思う。

そうこうしているうちに、私の四谷生活も終わりがきた。いつかの夏の夕方、ピンク色に染まった新宿方向の空は、あっという間に、冬の夕方の、青とオレンジのグラデーションに変わっていた。

私は今、四谷とはほど遠い場所に住んでいる。いつかここを離れた時、この地もまた切なく愛おしい場所になるのだろうか。

時には「こんな人生なんて」と泣きわめいたりもするが、あの四谷での「ブルー・モーメント」を思えば、「私の人生、もう既に十分よい人生じゃないか」と肯定できる。何とかかんとかこの先をやっていく勇気を、「ふるさと」がくれている気がする。