もう二度と妹とは会えないかもしれない。そう思うと涙が出てくる。もう何度目かもわからない。
妹は高校3年生だ。受験生で、首都圏の大学を第1志望にしているらしい。そして、幼児のときの予防接種で2度痙攣を起こしたから、新型コロナウイルスのワクチンが打てない。
7つ年の離れた妹は、私にとって姉妹というより「子供」だった
妹が生まれたのは、父が奄美大島に赴任しているときだった。私が生まれた、鹿児島の灰が浮いた海と違って、奄美の海は青い。白い砂浜に打ち寄せる波の透明が、沖へ向かうほどターコイズブルーに近づく。そんな海にあやかって、妹の名前には「海」の文字が冠された。
私と妹は年が7つ離れている。数字にすると小さく感じるが、実感としては大きな年月だ。私にとって妹は歳の離れた姉妹というより、我が家に新しく発生した子供だった。小さな親のような気持ちでおしめを変えたし、ぐずれば腕に抱いて揺らした。
そして、私達は成長した。私は大学進学を機に家を離れた。そのとき妹はまだ小学生だった。以降、私と妹は離れて暮らしている。
時間は私達の関係を変えた。他の家の姉妹に比べると、ひどくよそよそしいだろう。私は妹を「さん」づけで呼び、LINEを交わすのはお互いの誕生日だけだ。
私の中では妹はまだ小さくて、ゲームが好きな子供のままだ。母から聞く話によると、大学で彼氏をつくるためにダイエットに励み、美容に力を入れているらしい。
そんなことをしなくても、と私は思う。けれど言わない。妹も困るだろう、これまでなにも力になってくれなかった姉が突然「今のままでもかわいいよ」なんて言ってきたら。信じられるはずがない。
私の母や祖父母、そして妹はコロナのワクチンを打ちたくても打てない
ちょうど3年前、父は再び奄美大島へと赴任することになった。私は喜んだ。父が奄美にいれば、またあの綺麗な海で泳げる。最初の年は仕事で帰省ができず、「来年はぜったいに夏休みを満喫する」と母に語った。
昨年の春、新型コロナウイルスが発生したというニュースを最初に聞いたとき、私は特に気にしていなかった。まさかこんなに長引くなんて。そしてこんなに、苦しむ人と亡くなる人がでてくるなんて。
肥満の父はいち早く、単身赴任先の奄美でワクチンを接種した。私は居住区のワクチン供給が足りずに、一時は予約ができなかったが、なんとか職域接種での枠を見つけることができた。
しかし、鹿児島の母は病気で副反応が強くでるのを懸念して、同居の祖父母は血液に作用する薬への影響を恐れて、そして妹は、ワクチンを打っていない。
今からでも離れていた時間を少しでも「姉として」埋め合わせしたい
もし、誰かが新型コロナにかかったら? 毎日不安になる。最悪の事態を考えては泣くことしかできない。相談事にはいつものってくれる母にも打ち明けることはできない。
「あなたが死んだときのことを考えて涙が止まらない」「もしあなたが死んだときのために、今から準備をしておいて」。どちらにせよ、ワクチンを打つことができない母の不安を煽るだけだろう。
このままだと、妹はワクチン未接種のまま、感染者が爆発している首都圏へ向かうことになる。たとえ入試に合格しても、入学できない可能性だってあるんじゃないか。
1年間、捨てたっていい。どうにか生き残って、また一緒に奄美大島へ行きたい。そして、海で泳ぎたい。姉らしくない姉だけれど、今からでも離れていた時間を少しでも埋め合わせしたい。
私はいまの妹のことを知らなさすぎる。押入れから出てきた、私が小学2年生のときの夏休みの絵日記には、妹とその拳が大きくクレヨンで描かれていた。
「わたしのひとさし指をにぎったいもうと。大切にしたいと思いました」と、つたない文字で書かれた文章と同じことを、いま思っている。