ほとんど褒められた覚えのない祖父との記憶。自慢の孫になりたかった

今から約20年前、父方の祖父が亡くなった。
亡くなった日のことは、今でもよく覚えている。
私の小学校の入学式の日で、家に帰ると救急車がとまっていて、おじいちゃんが担架の上で横たわっていた。家の車庫で呆然とその様子を見ていた。バタバタとする大人たちがいて、何をそんなに慌てているのかわからなかった。

おじいちゃんが冷たくなって家に帰ってきた。
あの時、初めて身近な人が亡くなり、死を知った。
父方の祖父は厳しかった。幼い頃ヤンチャだった私は、叱られてばかりで、ほとんど褒められた覚えがない。出来の良い姉や、いとこのお姉さんを褒めたり自慢げに話したりする祖父の姿を、こっそり見ることしかできなかった。
私も褒めてほしかった。私もおじいちゃんの自慢の孫になりたかった。そのことだけが、今でも頭の中に残っている。

ボロボロ泣いたお葬式。おじいちゃんの夢を叶えてあげられなかった私

そして今年2月、母方の祖父が亡くなった。
1ヶ月前に新年のあいさつをしに行った時は元気そうだった。
元気なふりをしていただけだったのかな?
私やみんなに心配させないようにしてくれてたのかな?
でも、まだ逝ってほしくなかった。

おじいちゃん、また「よぉ来たなぁ」って言ってほしかった。
私が結婚するの楽しみにしてたじゃん。コロナおさまったらみんなで食事行くって、楽しみにしてたじゃん。また来るって私が言ったら、「待っとるでぇ」って言ったじゃん。
なんで、もういっちゃうの?まだ、何もやってない。私、まだ、彼をおじいちゃんに会わせたこともなかった。コロナで食事にずっと行けないままだった。
「俺が死ぬ前に結婚式あげるんやぞぉ~」って言ってたのに、私……叶えてあげられなかった。

ごめんね、ごめん、おじいちゃん。
お葬式の時、ボロボロ泣いた。
もっとおじいちゃんに会いに行けばよかった。もっとおじいちゃんと話しておけばよかった。こんなことになるなら彼を紹介しておけばよかった。みんなで、食事に行けばよかった。後悔ばかりが頭の中を巡った。
でも、亡くなった人はもう帰ってこない。
だから私は決めた。

天国に行った祖父に恥ずかしくない姿を。ミスコンに出ることを決意

祖父の暮らす地、自分の生まれたこの地でミスコンに出て、ミスになること。
祖父に地元でミスになってほしい、と言われたわけではない。でも、ただただ祖父が住んでいたこの地をもっと大事にしたい。祖父に何もできなかったから、とにかく何か残したいと思った。
そして、天国に行った祖父に恥ずかしくない姿を見せたい、祖父に褒められたいと思った。

3年前は、今住んでいる地、父方の祖父と暮らしたこの地でミスコンに出て、ミスとして2年地元で活動をした。しかしそれ以降は、ミスコンに出ても、選ばれなくなっていった。年齢制限もあり、20代後半の私は出ることさえ叶わなくなっていった。

そんな中での私の挑戦だった。どうしても選ばれたかった。亡くなった祖父のことを思ってもあるが、残された祖母にも元気づけるきっかけになるかもしれないと思った。
志望動機を念入りに考え、履歴書を一文字一文字丁寧に書いた。

ミスになれた私に祖父は「よぉ頑張ったなあ」と言ってくれた気がする

母方の祖父が亡くなって1ヶ月後、選考会へ行った。
出場者には、自分よりも10歳近く若い人もいた。若さには勝てない。でも、私には私の経験があると自信を持って面接に挑んだ。人前に立つことも、祖父の地元に対する想いも、今までの経験は裏切らないと信じていった。
そして、私は再びミスになった。
父方の祖父と暮らした地と母方の祖父の住んでいた地でミスになった。

結果がわかって、真っ先に向かったのは母方の祖父母の家。もう、祖母しかいない。
祖父の「よぉ来たなぁ」の言葉はない。
でも、仏壇に手を出して合わせた時に、「よぉ頑張ったなぁ」と言ってくれてる気がした。

私の大好きな2人のおじいちゃん、今の私を褒めてくれるかな?
きっと褒めてくれてるって思って……また次も頑張ろう。
「よぉ~頑張ったなぁ」って言ってくれる気がするから。