亡くなってから知った、おばあちゃんの温もり。私は気づけなかった、おばあちゃんの優しさに。

幼い頃からおばあちゃん家に預けられ、いろんなものを買ってもらった

小さい頃、共働きの両親は帰りが遅く、私はよくおばあちゃん家に預けられていた。当時、並外れた集中力を持っていた私は、何かに夢中になる度に外の声がまったく聞こえなくなる質だった。おばあちゃん家のテレビは不思議で、アンテナが格段に良かったのか、テレビのチャンネルがなんと76まであった。おばあちゃん家は、私にとってのオアシス。刑事コロンボやプラネットアース、色んな番組に夢中になりながら、家中のお菓子を食い尽くしていた。

小学校高学年になって、家にいることに飽きた私は、おばあちゃんとよく一緒にショッピングモールにでかけた。おばあちゃんは足が悪くなり、外出する際には車椅子を使うようになっていた。私もいろいろなことに興味を持つようになって、欲しいものがたくさん増えた。

おばあちゃんとでかけると、いろんなものを買ってもらえた。お金が足りなくなると、私に口座の暗証番号を教え、お金をおろしてくるように言った。不自由させたくないからと。

おばあちゃんの口座残高は、当時お小遣いが毎月3,000円だった私にとって、富豪にもみえる金額だった。お金をおろしてくる度に、私は「少しくらいわがまま言ったって、この人はお金に困らないんだ」と思うようになった。なんだ、私のシュシュなんて、何てことないじゃん。

社会人になった今は分かる、勘違いも甚だしいと。おばあちゃんは、私よりはるかに長い年数を生き、私よりはるかに多い苦難を乗り越えて、今の金額を持っている。働いたこともないのに、おばあちゃんが持つお金の意味をちゃんと考えないまま、「甘えてしまえ」と思った自分が恥ずかしい。

中学生になり、おばあちゃんの財布から「お金」をこっそり抜き取った

中学生になった私は、相変わらず週末には必ずおばあちゃんと一緒におでかけをした。この頃、何でも買ってくれるおばあちゃんの財布の紐が固くなり、買い物かごに黙って入れておくと、「これは買えない」と何個か戻されるようになった。

欲しいものが次から次へと出てくる私は、「なんだよ、ケチ」そう思いながら渋々商品を戻した。大人になればなるほど欲しいものの金額は上がるのだから、厳しくなるのは当然なのだが、私はそんなこと考えもしなかった。加えて最悪なことに、どうしても欲しい気持ちが抑えきれず、おばあちゃんの財布から1,000円札をこっそり抜き取ったりした。どうせバレないとたかを括っていた。

おばあちゃんの持病は悪化し始め、病院に行く回数も増えていた。孫の私に言えないだけで、かさむ出費にきっと悩んでいた。それから2年が経った頃、おばあちゃんは静かに亡くなった。いろんな病気を併発して、骨はどんどん脆くなり、ベッドに寝る度に「足が痛い」とうめいていた。

おばあちゃんの死に顔はすごく穏やかで、もう会えなくなる実感がまったく湧かなかった。私の母はこっそり泣く日が増え、本当に悲しんでいた。なのに、葬儀で酒に酔ってくだを巻く親戚のおじちゃんに、葬儀の規模について文句をつけられながら「今日はお忙しいところありがとうございました」と頭を下げてまわっていた。その姿を見て、子供ながらに「なんでおばあちゃんが死んで、実の兄のこいつがまだ生きてるんだ」そう思った。一度も見舞いに来なかったくせに。

誰にもバレていないと思っていた私の悪事。おばあちゃんは知っていた

亡くなってから、母とおばあちゃんのことをじっくり話したのは、私が高校生の時。いまだに欲しいと思ったら、必要かを考える前にすぐ買ってしまう私を見かねて、母は怒っていた。諭すように私を見る。「おばあちゃんはね、みちるのことすごく好きで不自由させたくないから、無理していろんなものを買ってあげてたんだよ。お財布からお金がなくなってることも知ってて、言えなかっただけ。『みちるには絶対言わないで』って頼まれてたの。『怒らないあげて』って」。

恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。誰にもバレていないと思っていた悪事。この期に及んで、まだ自分の心配を。おばあちゃんはすべて知っていた。私の姑息な気持ちや行為を見透かし、それでも見ないふりをして、私と一緒にいてくれた。おばあちゃんの想いを知って、ボロボロと涙が溢れた。分かっていないのは私だけ。思っている以上に、すごく愛されていたのだ。

おばあちゃんは、無条件の愛を私に注いでくれた。厳しさという愛の存在を教えてくれた。亡くなってから気づくなんて、本当にごめんね。おばあちゃんからもらったのは、モノだけじゃない。だって、私はまだ、こんなに誰かを包み込んだことはない。

おばあちゃんを思い出すたびに、自分の欲を優先する自分を思い出し、誰かにこんな思いをさせるようなことは二度としまいと決意できる。おばあちゃんを思い出すたびに、私への笑顔を思い出し、優しくなれる。

おばあちゃんが、私に教えてくれたことを無駄にはしない。私の中にきっと生き続ける。これからも毎晩おばあちゃんの仏壇に手を添えて、毎日「ありがとう」と言おう。そして、おばあちゃんの分まで、明日をいいものにしていこう。