「帰りたい」と言う事はできるのに、「帰ったんだよね」と簡単に言えなくなったのはいつからだろう。

病院が一つしかないふるさと。感染者の情報は東京にいる私にまで届く

周りの目を気にして、自分の意見を言えなくなったのは私だけではないはず。
私の古里は小さな島で、病院は一つ、医者は本島から数名来てくれて、大きな病気や怪我はヘリで搬送して本島で治療する。そんな島にもコロナはやってきた。
田舎ならではというのだろうか、どこの家の、誰々さんとすぐに広まり、東京にいる私にまで情報は届いた。

決して悪い事ではないのに、犯人探しをしているみたいだなと思った。
しかし、医療機関の整っていない島民からしたら、身を守るのに必死なんだと思えば仕方ない。

自分の気持ちだけで帰って、島民の命が危険にさらされることは避けたい

その為、「東京」から帰省の言葉は不安にさせてしまうし、万が一の時に親族に迷惑をかけてしまう。自分の気持ちだけで帰って、何千人の島民の命が危険にさらされるのは私にはできない。感染は仕方ない事だけど、危険を持ち込むリスクは増やしたくない。何より私だけではなく家族が何かいわれたらと思うと、心が痛くなる。

こんなにもふるさとのイメージが悪く思ってしまう事に気づいた時、とても悲しくなった。人との距離が近く、時間に囚われずゆったりすごせた地元なだけに、コロナで経験した、人間の嫌なところを見えてしまうのが辛い。早くあの頃のふるさとに戻ってほしいと願うばかり。

一人暮らしで孤立する中、気にかけてくれた人たちの言葉が嬉しかった

しかし、いい事も確かにあった。
それは知り合いのいない東京で、沢山の人に支えてもらえた事。近くの唐揚げ屋さんや、よく行く中華料理のご夫婦が帰省できないのを可哀想に思ったのか、気にかけてくれて、思い出を作ってくれた。残り物をくれたり、お家にご飯を食べにおいでと声をかけていただいた。コロナの影響で友達と外食や遊ぶ事も減り、一人暮らしで孤立していく中、その言葉がどれだけ嬉しかった事か。

だから今は沢山の人との出会いを大切に生きていこうと思えた。それからは今は今でしか味わえない事があるはずだ、そう思い日常で見落としていた些細な事や、小さな幸せを少しづつ集めてみた。何も変わっていないはずなのに、気持ちは充分に満たされた。

そして気づいた、過去や未来は自分でかえれる。コロナで苦しかった孤独も、振り返ると周りの人に恵まれてる事に気づく、そんな視野を広げるタイミングだったんだな、と。だからこそ過去に意味を持たせる為にも、今何ができるかを考える事が大切。そうやって過ごせたら、この場所がいつか、帰りたくなる新しいふるさとになるはずだから。

そして新しい人生の目標も増えた。誰かの新しいふるさとを作ってあげれる人に私もなりたい。