「私のふるさと」と聞かれたら、やっぱり生まれ育った岩手のことを思い出す。
「けーってこい」と東北弁で話すおばあちゃんの顔が頭に浮かぶ。

「帰っておいで」と言われるふるさとに「帰る」と即答できない理由

大学進学とともにふるさと・岩手を離れて7年。社会人2年目になった私は、将来骨をうずめる場所について考え始めている。結婚相手なんてもんはいないし、家業なんてものもないので実家に帰らないといけない理由は特にない。

「帰っておいで」
そう言ってくれたおばあちゃんはもう今はいないけれど、私にだってもちろん、いつかはふるさとに帰りたいという気持ちはある。親もきっと大喜びする。

しかし、「帰る」と即答できない理由がある。
それは、ふるさとの岩手に友達がいないことだ。
中学、高校と人付き合いが苦手だった。当時仲が良かった友達は少なからずいるけど、現在も連絡を取り合っている友人は本当に少ない。片手でも余るくらいだ。
もちろん楽しかった思い出もあるけど、蓋をしたい思い出の方が多い。

裏切られるのが怖くて、3年間誰にも言わなかった一方的な片思い、思春期特有の急な仲間外れ、でもまだ男子とは普通に話せていた中学時代。
部活に全力を注いだけど、結局3年間レギュラーにはなれなかった部活、友達がいなくて一人で食べていたお昼のお弁当、男子とまったく話せなくなった高校時代。

会いたい人がたくさんいる釧路。でも、骨をうずめたいと思うのは…

それに比べて大学時代を過ごした北海道・釧路。初めての彼氏、親から離れた解放感、男女関係ない交友関係、飲み会、アルバイト、行きつけのお店ができたことなど、自分の中ではとても華々しく、少し遅れて青春を謳歌した時間だった。

今でも連絡を取り合ったり、遊んだりしているのはみんな大学で出会った人たちだ。
初めて自分で働いてお金を稼ぐことの大変さを教えてくれたバイト先。とても可愛がってくれた行きつけの居酒屋のマスター。大学を卒業し、社会人になっても会いたいと思える人がたくさんいるのは釧路だった。

でも、将来どこに骨をうずめたいかといわれると、やっぱりなぜか岩手が頭に浮かぶ自分がいる。
「どうして帰りたいの?」と自問自答する。
これから先同窓会のような集まりがあっても、正直行きたくない。私を覚えている人なんていなくて、「コイツ誰?」みたいな空気になるのが怖い。
一応SNSで繋がっている地元の知り合いの投稿には、同じ小・中だった人たちが集まって楽しそうにしている様子が映る。本当は羨ましくて、あの輪に入りたいなと思いつつ、「いいね」は絶対に押さない。地元に居場所がない自分の負けを認めたような感じがするから。

でも、そんなふるさとで、また一から人間関係を作っていくのもありなのかなと最近思うようになった。

友達がいないふるさとも悪くない。来年「ただいま」を言おう

ふるさとでの苦い思い出があったからこそ、今の私がいるのは事実なのだ。
人間関係を一からやり直したくて、中学校の同級生が一人もいない高校に行って、その高校の先生に北海道の大学を進められ、その大学に入って色々な出会いがあって、普通に人付き合いができるようになった。

そう思える今の自分だからこそ、子どものころには仲良くなれなかったあの子たちとも、今なら仲良くなれるかもしれない。中学までは仲が良かったのに、今は全然連絡を取らなくなってしまったあの子とも、また話が盛り上がるかもしれない。
一度も話したことはなかったけどずっと片思いしていたあの子とも、話せるかもしれない。きっと、何かが変わるかもしれない。そんな気がちょっとだけしている。

今はまだ決断できないけれど、来年のお盆こそは必ず岩手に帰って、まずはおばあちゃんにこう言おう。
「ただいま」って。
そして、連絡先を知っていると友達に連絡してみよう。
友達がいないふるさとも悪くない。
これから作っていけばいいんだ。