「ふるさと」とか「故郷」とか、よくわからない。
横浜の社宅で幼少期を過ごし、小学校の途中から東京へ。
と思えば父の仕事の転勤でアメリカのシアトルで青春時代を過ごし、帰国して東京の大学に進学。
そして、大学1年の終わりに東日本大震災を経験。自分に何かできることがないかを探しているうちに、地域活性化とか町おこしとか、そういったワードに出会うようになり、私には周りが懐かしむような「ふるさと」がないなあ、帰省とか「帰る場所」がないなあ、と思うようになった。
思い出があるシアトルも、長く住んだ他都市も、ふるさととは少し違う
横浜の社宅の場所には今は高級マンションがあり、懐かしむ景色もご近所さんももちろん残っていない。
東京は引っ越してすぐ中学校の受験勉強に突入したので、地元と関わることもなく特段想い入れはない。
アメリカのシアトルは唯一思い出がたくさんあるが、なぜか、日本語で言う「ふるさと」じゃない、と思う。
気づけば、大学時代は学生団体などを通じて、社会人になってからはNPOの活動で、国内のあちこちで教育事業を軸とした地域おこしにどんどん関わるようになった。北海道、宮城、石川、長野、徳島、沖縄……。何度も通った地域もある。
しかし、自分にとって、「第一」が長く住んでいる東京だとして、「第二のふるさと」と呼べるような「地方」はみつからなかった。
あたたかい想いを抱いたアイルランドと、仕事の紹介で移住した鹿児島
2020年、アメリカで1年間働けることが決まり、ウォーミングアップとして1~3月にアイルランドに滞在した。
その間、その国の歴史を調べ、自分の住んでいる地域を知り、町の様々な人たちと出会い、交流し、一緒にバウロン(アイルランドの楽器)を学び、パブで飲んで踊り、子どもたちと遊び、ボランティアをし、イベントやお祭りに参加し、お店の店員さんと仲良くなってInstagramで繋がり、帰国した後もDMやテレビ電話で話したりした。
たった3か月だったのに、自分の中では今まで訪れていた日本国内の地方とは違う、上手く言語化できないあたたかい想いを抱いていた。
アメリカには結局行けなくなってしまい、知人に仕事を紹介してもらい鹿児島に移住をした。
小学校の歴史の授業で「西郷隆盛」という名前を見た程度の知識しかない自分が、急いで史跡や博物館等を回りながら歴史を学び、自分の住んでいる地域を看板などを見ながら知り、町の様々な人たちと出会い、交流し、一緒に市民講座で学び、屋台村で飲んで交流し、子どもたちと遊び、ボランティアをし、おはら祭でおはら節を踊り、お店の店員さんと仲良くなってInstagramやTwitterで繋がり、気づけば鹿児島県民になって11か月目になる。
GIVEする以上に受け取った場所が、私にとっては「ふるさと」
いま、私には住んでいた年数が長い「ふるさと」の「東京」と自分のアイデンティティ形成にかなりかかわった「アメリカ」と、また違う心の「ふるさと」として「アイルランド」「鹿児島」がある。
自分がその地にどっぷりハマって、その町を知ろう、好きになろうと行動を起こし、自分の好きな分野や興味がある分野で人と繋がりともに時間を過ごし、何かしらの形でつながり続ける。そして、そこで自分がGIVEする以上に沢山の物を受け取った場所が、私にとっては「ふるさと」になった。地域おこしなどでは、そもそも「東京に家がある=戻る」前提だったし、「ふるさと」には到底行きつかないわけだ。
なんとなく違和感を抱いていた「アメリカ」も、振り返ってみれば沢山の物を受け取っていて、今もつながり続けようとしているので、今は私にとっては「ふるさと」だ。受動性と主体性がバランスよく取り続けられる場所、そこが私にとっては愛着形成に必要だったのかもしれない。
別に、「ふるさと」の定義は自由に決めて良いし、だから、幾つもの 「ふるさと」の形あってもよいのだとおもう。
今日も私は、無印良品で流れるケルトの音楽を聴いて、外を出て夕日が燃える桜島を見て、携帯でFacebookを開いて流れてくる友達のレイクワシントンの写真を眺めて、想いを馳せる。