京都の山間の住宅街。電車で気軽に京都市内へも大阪へもいける便利な街。斜面に沿って建てられた住宅街で、自転車で駅まで通学する時行きは天国、帰りは地獄だった。

そんなこの街の良いところは「人の良さ」。「地域での子育て」それが根強く残っていて、小学生の頃鍵っ子だった私は、そのまま近所のお家に帰って夕方まで過ごしていた。
隣のおばちゃんの家でカラオケをしたり、年下の子どもたちを大勢連れて犬の散歩に行ったり、親にも話せないことを聞いてくれる相談相手が世代問わず沢山いる。
「駅まで送るで!乗っていき!」
「エミちゃん元気か?」
そう言っていつも気にかけてくれる人がいる。これが私が育った街。

地元を離れて初めて知ったのは、地域のつながりの有難さだった

高校三年生の時、夢を追いかけたくて地元を出る道を選択をした。
新幹線で数時間の距離。やりたいことが叶うのと、なんとなく街の雰囲気が地元に似てる気がして、「ここなら4年過ごせる」そう思った。でも実際はそんな簡単じゃなかった。
知り合いがいない街で、毎日勉強に追われ、「一緒にいて楽しい」と感じる仲間はできても、安らげる居場所は作れなかった。

アパートに帰っても「知らない場所」。仮住まいの感じが拭えず、家族に会いたくて、地元の空気感に触れたくて月に一回何時間もかけて地元に帰っていた。
数日帰った時も、
「エミちゃん帰ってきてるんや!向こうの生活はどうや?」
と街を歩けばみんなが聞いてくる。

「おばちゃん、この間こんなことがあってなぁ」と身の上話を聞いたり、近所の子どもたちの遊びに混ざったり。地元を堪能してから大学に戻り、また1ヶ月頑張る。そんな生活を送っていた。

18年間実家でぬくぬくと育ち、一人暮らしやアルバイトを経験して初めて両親の偉大さを知った。そして、地元を離れて初めて、地域の繋がりのありがたさを知った。

ウイルスが世界を襲い夢を絶たれた時、街のみんなが救ってくれた

一人暮らしを始めて3年目。相変わらず電気がついていない部屋に帰る毎日。
「夢を叶えたくて」と意気込んで入った大学も、単位を落とさないことが授業を聞く目的になり、授業中に隠れながら友だちと馬鹿みたいなことを沢山した。ルーティン化した日常の中で、淡々と1日を消化する生活に変わり、この大学に来た意味が分からなくなった。

「充電期間」と称して休学して地元に帰り、インターンをしながら海外渡航に向けてアルバイトをする生活を送っていた。
しかし渡航直前、世界を未知のウイルスが襲った。やむ終えず渡航中止を決断し、やりきれない思いに溢れていた時、救ってくれたのは町のみんなだった。

「残念やったけど、エミちゃんが1人で海外行くん心配で仕方なかったから安心したわ」
「エミちゃんしばらくいるん?遊べるやん嬉しい」
近所のおばさんや子どもたちが、明るく話しかけてくれたことで「ここにいたらいい」と思えた。授業がオンラインになったことで、地元にいながら大学に通える夢のような生活が始まり、街の人との日常の些細な会話で元気をもらった。駅から家へ自転車での帰り道、街の風景を見て「やっぱり好きだなぁ」と何度も思った。

「いってらっしゃい」「おかえり」が聞こえる大好きな街で生きていく

半年のはずが、2年以上に及んだ充電期間。卒業を控え、就職活動を始めた今年の春、「やっぱりこの街にいたい」そう思い、地元から通えて夢を叶えられる会社への入社を決めた。
「ちょっと太ったんちゃう?」
「就活どうや?」
「来年の春からもう社会人か、早いなぁ」
いつも気にかけてくれて、「いってらっしゃい」「おかえり」が聞こえる大好きな街。
若さを届けることでみんなに恩返しをして、これからもこの街で生きていきたい。