今思えば、歩き続けていた。
小学校、中学校、高校、大学。部活に勉強に夢のための習い事。はじめの一歩は思いきり大きく踏み出し、その後苦しくてもとにかく進む。それが成長へつながる。報われると信じていた。
苦しい。苦しい苦しい苦しい。でもがんばれ。がんばれがんばれがんばれ。がんばれ。
……ふと思った。あれ、これっていつ、終わるんだろう。

新卒入社から1ヶ月、会社帰りの駅で過呼吸に。理由はわからない

新卒入社して1ヶ月、私は会社帰りの駅で、過呼吸になった。理由はわからなかった。
子どものようにわんわん泣いていたわけでもない。ただ、息ができなかった。肺が喉のすぐ近くまで上がってきているような感覚。
ゼーハー。ゼーハー。身体がいつもの倍速でなんとか呼吸しようとしていた。
ゼーハー。ゼーハー。仕事終わりのサラリーマンは誰も歩みを止めない駅の隅。
そうして私は、ひっそりと誰にも頼れずしゃがみ込んでいた。
初めて社会人として働いたその会社は、私を含めて従業員数3人というとても小規模な会社だった。それでも、当時の私は向上心と未来への期待が高く、他の会社より沢山のことが学べそうだと思い入社を決めた。

右も左も分からないけど、朝から夜まで打ち合わせに参加。家に帰り、恋人と一緒にいても仕事のメールが来ればすぐに返信。休日も新しい企画案を練り、平日にそれが全てボツになっても、会社では笑顔で過ごす。そんな日々だった。
苦しくて涙が出る夜もあったけど、涙が出れば出るだけ、頑張っている証拠だと思っていた。その分、後から報われる。今は頑張りどきだ。そう思って毎日いつも通り一生懸命生きていた。

「京都とか、行きたいな」。近所で見つけた竹林を眺め、思わず呟いた

糸が切れる、とはこういう事を言うのだろうか。過呼吸になりつつも、なんとか家に帰った夜から、私はベッドから動けなくなった。
ご飯も食べられない。お風呂にも入れない。どうしようもなくなり、会社に電話して休みをもらった。本当は働けるはずなのに、これはズル休みだ。そう思ってまた泣いた。
自分を責め続けていた時、恋人がお見舞いに来てくれた。彼が来ても身体と頭は重たく、涙は止まらなかった。それでも、外に出ないでじっとしているのはあまりにも不健康だからと、なんとか2人で近所を散歩に行った。

髪も服もぼろぼろで、とぼとぼと歩く私の横にゆっくりと歩幅を合わせてくれる彼。少し歩くと、近所に竹林があった。夕方の陽の光と風が竹林の間を抜けている。なんだか気持ちがほんの少し楽になった気がして、「なんか京都とか、行きたいな」と無意識に呟いていた。すると彼も一言呟いた。
「じゃあ行くか、京都」

お線香の香りに包まれすうっと深呼吸すると、自然と温かい涙が出る

気づけば次の日には京都にいた。彼は夜行バスをその日のうちに取っていた。そんな彼の勢いに連れられてバスに乗り、眠っていたら神奈川から京都に着いていた。
朝8時の清水寺。誰もいない静かで荘厳な空間を、お線香の香りがしっくりと包んでいた。その香りを感じる為にすうっと息を吸う。そして自然に深呼吸。頭と心臓をぐっと強く縛っていた何かが、ゆっくりとほどけていくような感覚。自然と温かい涙が出た。それまでとは違う種類の涙だったように思う。
それから一日、京都の名所を彼とゆっくり歩いて回った。お昼に食べた手作りのだし巻き卵定食がなんだかすごく美味しくて、また涙が出た。

趣ある街を彼と歩き、お土産にお香を買った。お金はそんなに持っていなかったので、夜には鴨川沿いでマックを食べた。料亭とかには行けなかったけど、あの瞬間が一番楽しかった気がする。
その後京都から帰って病院に行った。診断結果は適応障害。新しい環境などで頑張りすぎて心が苦しくなってしまう病気で、放っておいたら鬱病になるところだったらしい。自分の知らないうちに自分をそこまで追い詰めていたんだなと思った。現在は会社を休職して、心身共に元気になるのを待っている。
夜、部屋であの時のお香を焚きながら、もう一度深呼吸をする。ゆっくり吸って。吐く。そうすると少し心が元に戻っていくような気がしてくるのだ。あの時の京都の景色が思い出される。うん、今はこれできっと大丈夫なんだ。歩いて何処かに行かなくても、まだ前に進めなくても、この香りが感じられるだけで。