私のふるさとは母の作ってくれたお弁当だ。
両親は私が小学校に上がる頃に離婚しており、私は父と兄と住んでいた。とはいえ有り難い事に円満離婚だったため、母とはよく会っていた。
母は「好きでするの。」とお弁当を毎朝作って家まで届けてくれた
私が中学生になると、昼食は給食とお弁当のどちらか好きな方を選択でき、給食を食べたい時には食券を買うというシステムだった。最初はそのシステムが物珍しく給食を選んでいたが、給食は私の口に合わず
「お弁当にしようかな」
と母になんとなく話すと
「お母さんがお弁当を作ってあげるよ」
と言ってくれた。そんな風に言ってもらえると思っていなかった私は
「朝も早いし寄る時間も取れないからいいよ」
と言うと、母は
「普段何もしてあげられないから。お母さんが好きでするの」
と、お弁当を毎朝作って家まで届けてくれるようになり、私もまたそんな母に甘えた。
手の込んだ母のお弁当。お昼が近づくにつれお弁当の事ばかり考えた私
母のお弁当は手が混んでおり、彩りも豊かでデザートも必ずついていた。また、季節のイベントの時にはイベントに因んだ盛り付けにもしてくれていた。
お弁当箱の種類も豊富で、「今日はどんなお弁当だろう、デザートは何が入っているかな。私の好きな玉子焼きは入っているかな」と、毎朝わくわくしながら学校に通っていたのを覚えている。
食いしん坊な私は、お昼が近づくにつれお弁当の事ばかり考え、お昼の時間になると心待ちにしていたお弁当箱の蓋を開ける。蓋を開けた瞬間に、ふりかけのかかった冷めたご飯や少しふやけた揚げ物、ほんのり甘い香りのする玉子焼き達の香りが混ざった匂いがする。その匂いが大好きで、平日のお昼の時間は私にとって何よりも楽しみとなっていた。
中学校を卒業した後も、専門学校を卒業するまでの約7年間、母は欠かさず私のためにお弁当を作り、届け続けてくれた。雨の日も雪の日も変わらず届けてくれた母の姿は今でも忘れられない。
一緒に住んでいないけと、お弁当から感じられたのは母の愛情だった
結婚した今、私は旦那のお弁当を作っている。母のように毎日は作れはしないし朝から揚げ物も出来やしないけれど。
あの頃の私は、正直毎日のお弁当にどれだけの愛情や手間がかかっていたのか深くは考えてはいなかったが、旦那のお弁当を作るようになった今、あの約7年間の母のお弁当にどれだけのものが詰まっていたかよくわかる気がする。
砂糖の多めの甘い玉子焼きや、鶏そぼろや玉子そぼろ、鮭、枝豆の入った私の好きが盛りだくさんのおにぎり、朝から揚げてくれる青のり入りの竹輪揚げ、そのどれもがきっと私にとっては「おふくろの味」というやつで、恋しい味だ。
お弁当を作ってもらわなければどれももう食べれなかったかもしれない。お弁当箱に詰まった私のおふくろの味。今でもあの頃の気持ちや匂いを鮮明に思い出せる。
母とは一緒に住んでいなかったけれど確かに感じた母の愛情。そんな母の作ってくれたお弁当が、私にとってのふるさとだ。