私のふるさとは何処だろうか?私にとって“ふるさと”と呼べる場所があるのかは、未だにわからない。
そして27歳になった。

北海道で生まれ、東京、京都、関東へ。私は出身を答えたくなかった

北海道札幌出身、育ちは岩見沢。13歳の夏に東京へやってきた。大学時代は京都で過ごし、就職で関東へ。

現在、出身は北海道と言うことが多いが、北海道には人生の半分以下しか住んでいない。だからといって他の地域が長い訳ではない。本籍も北海道に置いていない。

実家は北海道にないので帰る場所という感覚はなく、行く度に旅行という感覚。
「北海道出身」と言うと、「じゃあ、◯◯知ってる?」と聞かれることが多いが、知らないものは多い。14年前の北海道と現在の北海道は異なる。知っていたとしても覚えてないパターンもある。
◯◯とは何かを答えられない理由で「北海道出身って嘘でしょ?」と疑われたこともある。少々悲しい。

大学生。京都に引っ越してきた時のことである。サークルの新歓やゼミでの自己紹介の時、
「私の出身は東京です」
と答えた。

東京から出てきたので東京と答えたつもりでいたが、
「生まれたのが東京じゃないなら、東京出身じゃなくない?」
と突っ込まれることがあった。 

当時の私は、“出身”を答えたくないと思った。突っ込まれることが面倒くさいと思うようになったのだ。
「何処から来たの?」と聞かれれば、「東京」と答える。間違ってはいないだろう。

大学2年の夏、久しぶりの東京へ。私の帰る場所でもあるのだと実感した

大学2年の夏、高校の文化祭のため久しぶりに東京へ行った(実家自体京都に引っ越したため、東京は久しぶりだった)。

その時、高校の友達と夕食を共にした。池袋のお店だった。友達が予約してくれた。
そこで友達がサプライズをしてくれた。突然やってきたデザートには、「マナマナ、お帰り」の文字。東京へ来て、ここが私の帰る場所でもあるのだと実感。素直に嬉しかった。

大学3年の春、友達が札幌に国内留学していたため、1人で飛行機に乗り、北海道へ遊びに行った。
引っ越して以来の北海道だったので、約8年ぶり。友達と札幌駅構内で待ち合わせし、そのまま余市へ行った。
待ち合わせ場所は、札幌駅改札内のロッテリア前。私が唯一札幌駅改札内で覚えていた場所だった。

友達と連絡を取り合った時、友達もそこがすぐにわかった。
まだあるんだ!と嬉しい気持ちと何処か懐かしさを感じる。
しかし、実際行ってみた北海道は、8年前と明らか違う感じがした。違う感じというより、あまり覚えていなかったのかもしれない。
8年経つと様々なことが変わっている。
北海道に対して、生まれた場所のはずなのに、“ふるさと”というより、旅行先に思えてしまう自分がいた。

懐かしい人からの「おかえり」。そこが私のふるさとなのかもしれない

就職して京都を離れ、関東に戻ってきた私(実家も別の場所へ引っ越した)。
仕事の休みの日は何度か京都へ行った。行っては、大学時代の友達や大学の先生に会っていた。観光地を巡る目的ではなく、人に会っていた。

そこで懐かしい人に会う度に、「おかえり」と言われる。 
約4年間しか住んでいなかった京都だが、ここは帰れる場所なのだと実感した瞬間だった。
また帰りたい。

私自身、“ふるさと”と呼べる場所はないかもしれないが、帰る場所はきっとある。それがある意味、“私のふるさと”なのかもしれない、とふと思った。
出身は北海道、事実だが“ふるさと”ではない気がする。

他の地域は特別長く住んでいた訳ではない。しかし、私が“ふるさと”と思えば“ふるさと”になるのかもしれない。
定義は曖昧だが、曖昧のままで良い。