私は物心がついてから、ずっと東京で育ってきた。
大学や就職で他の地域へ移動することもなく、今後も移動の予定はない。
こんな訳で、対外的には私のふるさと=東京だ。

しかし物心がつく前、私はイギリスのロンドンにいた。
なので、私のふるさと=ロンドン、と見栄を張ることもできる。
こう言うと「カッコイイ!」なんて言われるが、こちらは物心がついていない訳で、もちろんロンドン滞在時のことなど全く覚えていない。

両親の証言と、そのことを示す写真が残っているのみだ。
ロンドンで出生したということで住民票は提出したらしいが、その住民票でさえ今はどうなっているか定かではない。
それに、選択の余地もなく国籍は日本であり、私は紛うことなき日本人だ。
こう答えると「何だか残念だね」なんて言われるが、私自身は特に残念だとも思っていない。

第三の祖父母といえるほど慕っていたロンドンで出会った老夫婦の存在

両親がロンドンで暮らしていたとき、お隣りさんに良くして頂いていたらしい。
そのお隣りさんはイギリス人ではないがロンドンで暮らして長い老夫婦で、素性も分からない日本人カップルを疎むことなく、ロンドンでの暮らし方のコツや穴場レストランを教えてくれるなどとても親切にしてくれたそうだ。

赤ちゃんの頃から気が早かった私は、予定より1ヶ月も早く生まれてしまい、本来ならば両親双方の実家から祖父母が手伝いのため渡航してくれるはずだったのが、叶わなくなってしまった。

その代わりと言ってはおこがましいが、お隣りの老夫婦が実の祖父母のように、両親を労りサポートし、実の孫のように私の育児を手伝ってくれたそうだ。
そんな訳で当然のごとく、両親は「第3の両親」として、私は「第3の祖父母」として、この優しい老夫婦を慕っていた。

この老夫婦には両親と同年代の一人娘がいて、私は一度も会ったことがなかったが、「此の親にして此の子あり」という言葉通りのすてきな女性のようだった。
悲しいことに老夫婦が亡くなってしまったときも、更には東日本大震災のときにも、本来ならば赤の他人である私の両親にわざわざ国際電話をかけてくれるような優しい人だった。

仕事で訪れることになった国で、顔も知らない彼女に会うことに…

この女性は現在ロンドンを出て、女性の両親の祖国であるヨーロッパ他国で暮らしているのだが、社会人になった私は仕事でこの国に行く機会があった。
このことを両親に報告するとすぐさまこの女性のメールアドレスを私に寄越し、是非会ってくるようにと命令された。

とはいえ、この女性の両親である老夫婦には物心ついてから何回も会ったことがあるが、この女性本人には一度も会ったことがなく、顔すら知らなかった。
客観的に見ると「馴染みのない外国の地で、顔も知らない外国人に会う」というかなり危険な指令のように思えたが、何だかんだでこの女性とメールのやり取りを続け、ついに会う約束を取り付けた。

約束の時間に約束の場所へ向かい、周囲の人達を見渡したとき。
事前に写真を貰っていた訳でもなかったのに、同じような外国人たちの中にも関わらずその女性のことがひと目で分かったし、その女性を認識した瞬間に私の胸の中に何か熱いものが込み上げてきた。
大げさかもしれないが、生き別れてしまった母にようやく出会えたような、そんな気持ちだった。

血の繋がりがない祖父母や母がいる。彼らがいる場所はふるさとだ

今まで会えなかった分の近況や将来の展望などを休む間もなく語り合ったから数時間後にはお互いに声が枯れてしまい、顔を見合せ笑った程に打ち解けた。
紛れもなく、この女性は私の「第3の母」だった。

私のふるさと=東京であり、私のふるさと=ロンドンでもあるが、馴染みやゆかりがある対象は特定の場所だけではない。
私には、血の繋がりがない祖父母や母がいる。

彼らは私にとっての拠り所であり、彼らがいる場所がどこであろうと私にとっては「ふるさと」だ。
そんな「ふるさと」に、いつかまた行けたら。いや、是非とも行かなければ。
そう願いながら、今日も私は仕事に精を出す。