日焼け止めの匂いは、お母さんの匂いだ。
あれは何年前の夏だったのだろう。それまで美容やお化粧にあまり興味のない人生を歩んできて、でも、そろそろ日焼けとか気にしないとなあ、とぼんやりと感じ始める年齢になった夏。薬局に行って、ちょっと高かったけど、資生堂アネッサの日焼け止めを買った。
アネッサの太陽マークに、見覚えがあった。たしか、母もアネッサを使っていた。

日焼け止めを塗ってくれた母の手。包まれた頬っぺたの感覚が懐かしい

日焼け止めを塗る習慣がそもそもなかったから、買ったはいいものの、部屋に置きっぱなしになっていた。
たまたま心と時間に余裕があった日、せっかく買った日焼け止めを塗ろうと思った。
ベタベタになるのが嫌だから、ほんのちょっぴり、白っぽくてさらさらとした液体を、手のひらに出す。ひんやりとしたその液体を両手の手のひらで馴染ませて、ほっぺたを包み込むようにした瞬間、ぐわん、と視界が揺れて、それまで目の前に見えていた、いつもの見慣れた自分の部屋が消えて、青い海と、白い砂浜が見えた。

xxちゃん、日焼け止め塗ってあげる。

そう言って、母は幼かった私に日焼け止めを塗ってくれた。懐かしい、自分とは全く似ていない、地黒だった母の手。仕事のせいで中指にペンだこができていた。
幼い私は、日焼け止めが目に入らないように、ぐっと顔に力を入れている。口も、上下の唇を噛むようにして、日焼け止めの侵入を防ぐ。それでもあの、日焼け止め特有の匂いは、容赦無く鼻に入ってきて、母の手が、私のほっぺたを包み込む。鼻の頭にも念入りに日焼け止めを塗る。懐かしい、あの感じ。

「幸せになってね」という言葉を残して、母は病気で死んでしまった

夏休みのたびに、両親は私を連れて旅行に行った。たいていは、海の近くのリゾート地で、いつもは仕事で忙しい両親も、その時はリラックスして、朝から晩までずっと一緒にいてくれた。海やプールでのんびり過ごした。

日焼け止めの匂いは、夏休みの匂いだ。朝遅くまで寝ていても怒られることもなくて、心配ごとなんてなんにもなくて、私はただそこにいるだけでよかった。

日焼け止めの匂いは、お母さんの匂いだ。私が私であるというだけで、誰よりも愛情を注いでくれた人の匂い。守ってくれた人の匂い。

でも、お母さんはもういない。16歳の夏がくる前に、病気で死んでしまった。幸せになってね、という言葉を遺して。

気が狂うような悲しい夏をいくつも超えて、私は自分で日焼け止めを塗るようになった。
気がつけば、母がいなくなってから10年以上経っていた。その間に、私も少しは大人になったのだろうか。

日焼け止めの匂いをかぐ度に、母に守ってもらっていた記憶が蘇る

今思うと、15歳のあの日から、私は大人の階段を2段飛ばしに上ってきてしまった。だって、あの気の遠くなるような悲しみの中で、私は子どものままではいられなかった。
だけど急いで来てしまった分、私はどうやら階段の途中で迷子になっていたようだ。最近まで、迷子になっていたことすら気づかなかった。

階段を上る途中で、父や周りの大人たちに、もっと悲しみに寄り添って欲しかったこと。でも父も大変だからと遠慮してしまったこと。この悲しみをわかってもらえないなら一人の方がましだと、きっと誰かに差し伸べてもらっていたはずの手も振り切って、一人で知らないところまで上ってきてしまった。子どものうちに解消しておくべきだった様々な感情を押し殺し、大丈夫なふりだけ上手になって。そのことに、やっと気がついた。

だから、私は今少し、立ち止まろうと思う。一足飛びに駆け上ってきてしまったこの人生の階段を、何段か下りてみたっていいと、今なら思える。その後で、また上りたければ上ればいいし、そこの景色が気に入ったなら、そこで一休みするのもいい。

これから先も、たぶん何度も迷うし、階段を踏み間違えそうになることもあるかもしれない。でも、今はもう毎日つけることが習慣になった日焼け止めの匂いをかぐ度に、確かに母に守ってもらっていた記憶がよみがえる。そして、その記憶は、私を強くする。
だから私は、これからも、ゆっくりじっくり、人生の階段を、自分の足で、上っていく。