「ふるさと」とは、どこを指すだろう。生まれた場所のことだろうか。住んでいる期間が一番長いところとも言える気がする。たとえ少しの間しかそこにいなかったとしても、濃い時間を過ごした場所であれば「ふるさと」と呼んでも良いだろう。
そう定義付けした上で、私の「ふるさと」はどこだろう、と悩んでしまう。
唯一の揺るぎないふるさとを、迷わずに答えられる人が羨ましかった
神奈川で生まれ、愛知、東京で育った私。父の転勤の都合で、都内でも数回引越しを経験した。
どの土地にも素敵な思い出がある。知った場所がテレビに映ったり、久しぶりに訪れたりしたときには、懐かしさを感じる。でも、「ふるさと」と、言われるとどこもピンとこない。
色々な土地に思い入れをもっているということは、決して悪いことではないと思う。
良いことだってたくさんあった。引越しの回数だけ人の輪は広がって、たくさんの友達ができた。いろんな土地の郷土料理も知っているし、地元民ならではの通な観光地だって紹介できる。
しかし、拭いきれない寂しい気持ちがあることも確かだ。移り住みながら育ってきた私は、その土地で生まれ、無邪気な幼少期を過ごし、思い悩む思春期を乗り越え、大人になってもなおその場所に暮らし続ける、または、ふるさとを支えに離れた土地で奮闘する、そんな人たちには敵いっこないのである。
そんな人たちを思うと、「私のふるさとは、ここだ!」と胸を張って言えなくなってしまうのである。いつも心にある、唯一の揺るぎないふるさと。それを迷わずに答えられる人を羨ましく思っていた。
あえて、過去形にしたということは、昔に比べると、私の中の「ふるさとをもつ者への羨望」が消えた……とまではいかないが、確実に薄まったからである。それは、自分の「ふるさと」を見つけたからである。
親元を離れた後に実家が転居し、「ふるさと」がついに消えてしまった
「ふるさと」が後天的に見つかるというのは、なかなかないことだとは思う。実際にそれは、ずっと私と共にあったのだ。しかし、私自身がそれを「ふるさと」と認識していなかっただけのことなのだけれど。
3年前、結婚して、親元を離れて生活を始めた。実家から電車で30分ほどの新居。夫と喧嘩をすることもあるけれど、そんな時は母に電話をかけ愚痴る。いつの間にか母の職場の愚痴に話が変わるのもいつものこと。
さて、今度の土地にもそろそろ慣れてきたぞ、という頃。世界を未曾有のウイルスが襲った。コロナ禍で様々な制限がある中、近場ではあるけれど、今までのように気軽に実家に行くことはできない。生活は一変した。
そして、今年の春。妹の就職をきっかけに、再び実家が転居した。家を出てからの転居なので、今度の実家は、実家と言えども私にとっては一つも思い出のない家である。自分の家、という感覚はない。
残念な気持ちがあった。「ふるさと」がついに消えてしまったように思った。大袈裟かもしれないけれど、自分のルーツを見失ったように思った。自分はどこからきて、どんな思いで今日まで生きてきたのか、という人生の地盤が揺らぐような感覚があった。やはり少し大袈裟かもしれないけれど。
馴染み深い場所がなくても、私の「ふるさと」は母の作るハンバーグ
先日、用事があって新しい実家に初めて足を踏み入れた。とは言っても、家族団欒というわけにはいかないので、父も母も仕事でいない家に合鍵で入って必要な荷物を持ち帰っただけである。
母から「お昼を用意したのでよかったら食べて帰ってね。」とメッセージが入っていたので、遠慮なく冷蔵庫を開けた。ラップのかかったお皿を取り出し、そのまま温める。ラップを剥がして捨て、あつあつのお皿を慎重にかつ急いで机におく。椅子に腰掛けて一口食べる。
何気ない動作だった。しかし、そこに「ふるさと」があった。
座っている椅子もテーブルも新調されたもので初めて座ったし、誰かと語らいながら食べたわけでもない。それでも、たしかに「ふるさと」を感じたのだ。
私の「ふるさと」は、母の作るハンバーグだった。物心ついたときから一番大好きだった。誕生日や合格祝い、節目にはいつもリクエストしていた。愛知でも、東京でも、たくさんの思い出と共にあったハンバーグ。
馴染みの深い場所はない。実家にも、自分の過去の面影を見ることはできない。そんな私にもちゃんと「ふるさと」はあったのだ。
今度会えたら母にハンバーグの作り方をちゃんと教えてもらおう。自分の生きていた道のりを、「ふるさと」を、大切に受け継いでいきたいな。