6年前にもらった言葉に、今でも心が奮い立つ。

わたしは、中学校で吹奏楽部に入部した。わたしが所属した吹奏楽部は、いわゆる弱小だった。パートも部員だけでは足りず、お世辞にも上手とは言えない、ただ顧問が厳しいだけの部活だった。

だから、自分が部活の中でいちばんでありたくて、かなり練習した。多分、誰よりも練習した。その成果が出たのかは分からないけど、高校は推薦でそこそこの強豪校に進んだ。

弱小吹奏楽部からきたわたしに強豪校の先生は「君、上手だね」と言った

中学校では部員が少なかったから、わたしがいなくなればわたしの担当する音が消えた。でも、高校は違う。わたしがいなくてもこの音は誰かが演奏している。「誰ひとり同じ演奏はできない」けど、何人もが同じ楽器で同じ音を演奏している。

中学生の頃と同じパートを、もちろん希望した。希望者が多く、オーディションで勝ち取った。オーディションの後、講師の先生がわたしの元に来た。

名前すら聞いたことのない弱小吹奏楽部からきたわたしに、強豪校の講師の先生は「君、上手だね」と微笑んだ。自惚れた。

高2の時、コンクールのオーディションで「下手になったね」と言われた

それからちょうど1年後、高校2年生の5月。コンクールメンバーを決めるオーディション。1年生の頃は3年生の先輩がオーディションを通過し、コンクールに出た。

わたしのパートにはひとつ上の先輩がいなかったから、今年はわたしが出られるだろうと思ってオーディションに挑んだ。各パートのオーディションが終わり、窓の外が暗くなった頃、わたしのオーディションが終わった。

講師の先生が、わたしに伝えた言葉はたったひとこと。「下手になったね」。

当たり前だった。「君、上手だね」という言葉を頂いたあの日から、わたしは真面目に練習しなくなっていた。無意識に、自分は上手いから大丈夫、と思っていたと思う。

「下手になったね」と言われた後、夜の部室で泣いた。泣く資格なんてない、と思いながら。練習してないから、下手だと言われる。当たり前のことだった。その日の夜から、「悔しさで泣かない」と決めた。

結局その年のコンクールは、わたしのパートを空席のまま出場するわけにはいかず、消去法でわたしが出た。先生はメンバー合奏の前に「ここにいる皆さんはオーディションでその席を勝ち取ったわけです。みんな、おめでとう」と、恒例のセリフを。続けて「君は消去法だからね。それを忘れないように」と言った。

忘れられるわけがない。オーディションで選ばれたみんなと、ここで一緒に演奏していいはずがない。

「下手になったね」と言われたオーディションの翌日からは誰よりも練習した

「下手になったね」のオーディションの翌日から、毎朝誰よりも早く練習を始め、夜は誰よりも遅くまで練習した。毎朝始発に乗って学校へ行き、帰宅は22時を回った。家にいる時間は、1日8時間もなかった。

平日も休日も同じ生活を繰り返した。大変だとは思わなかった。周りより頑張り始めるのが遅かったわたしは、それくらいしないと強豪校の名を背負えなかった。名前に乗っかるだけの自分から、卒業したかった。

練習して、練習して、練習した。もう、悔しさで泣きたくなかった。「これ以上の演奏は今のわたしにはできない」と思えるくらい練習したい。全力を出した結果が「代表枠」ではなくても、悔しくないくらい練習したい。演奏後「この演奏しても無理なのか。レベル高いな」と笑いたい。

「下手になったね」のオーディションから1年。高校最後のコンクールのオーディションが終わった。先生は、わたしを見て微笑んだ。「創部初の満点合格、おめでとう。上手になったね」。

先生、あの夜の「下手になったね」は、今でもわたしの心を奮い立たせています。