私はおばあちゃんに一時期育てられた。
母親は育児が嫌いだった。私のことが嫌いだったのかもしれない。
どちらなのかは大人になったいまでもわからないが、少なくとも母親とはいまは数年断絶状態だ。
思春期に反抗期をぶつけたおばあちゃんは、日に日に衰えていった
おばあちゃんは、母親の激しさをよく理解していた。
「なんであんなふうになってしまったかはわからないけれど、わたしが代わりにしてやらんとあかんと思ってるんです」と、生前親戚に孫の育児や母親がすべきだった家事全般について話していたそうだ。
おばあちゃんがなくなってからそれを知った。
わたしは、とにかく母親には甘えられなかった。怖かった。常に怖かった。
思春期になるとおばあちゃんに反抗期をぶつけるようになった。両親には良い子でありつづけた。わたしはこのことをその後一生後悔する。
中学二年のとき、おばあちゃんが頭痛を訴えた。頭痛薬を飲めば治るよ、とぶっきらぼうに言った。その日の晩御飯もしんどいのに作ってくれてて、でもわたしはいつもどおり美味しいありがとうなんていわかなかった。ぶすっとして食べた。
おばあちゃんは悲しそうだった。背中が小さく見えた。
翌日、おばあちゃんは病院に行き、脳腫瘍だと判った。
すぐ入院になった。あんなにちゃきちゃきして家事を完璧にこなして豪快にわらうふくよかな人が、日に日に衰えていった。
一時的に帰宅していた時期のある日。私に、夕方四時くらいに、
「お願いがあるんやけど。お腹すいたわぁ。晩御飯つくって」
と頼んだ。
中学3年の私には何もできない。白いご飯と味のない卵焼きとインスタントのお味噌汁と、お漬物をだした。
今思えば不思議だった。ご飯なんかまともに食べれなくなってたのに、あんな時間にお腹空いたなんて。
ここからは私の想像でしかないが、おそらくは、私に、死ぬまでに、一回ごはんを作ってほしかったんだと思う。自分が育てた孫がどれくらい成長したのか、感じたかったんだと、大人になったいまでは思っている。
葬儀で、育ててもらったわたしだけは頑なに、なにもいわなかった
ゆっくりとゆっくりと、何もできなくなった。少しずつ、いろんな、大切なことが思い出せなくなった。
最後はほとんどなにもかんがえてないような状態だった。かつてのおばあちゃんは見る影もなかった。一日中ずっとぼんやりしているだけで、食事も排泄も一人ではままならない。顔は治療でパンパンにむくんで、髪もほとんどぬけおちてしまっていた。
そんな状態でも一日だけ激烈に記憶に残っているのは、そんな状態のおばあちゃんが突然、
「Nちゃんが泣いてる……Nちゃんが泣いてる……!」
と突然声を上げたことだ。
おそらくは私の赤ちゃんのときの記憶がフラッシュバックしたのではということだった。その頃おばあちゃんは、すでに娘である母親の顔もわからなくなっていた。
そこから一年せずにおばあちゃんはなくなった。
お葬式では、わたしは泣けなかった。わたしだけ泣けなかった。
「人は亡くなっても最後まで耳はきこえているといいます。最後におばあさまに声掛けをしてあげてください」
と葬儀屋さんにいわれても、わたしだけはなにも言わなかった。
みんな、ありがとうとか、またね、とか言ってる中で、わたしだけは頑なに、育ててもらったわたしだけは頑なになにもいわなかった。
大学三年生の夏。わたしは、初めて自分の一番醜い部分を晒した。
ずっと、あらゆることを後悔している。懺悔が必要だった。こんなにきたない私の部分を見せられる人は現れなかった。
大学三年生の夏、そのときは来た。
素敵で優しい部活の先輩がいて、その人は教養があり、思慮深く、みんなに優しかった。
部活のイベントの夜、その人と二人で話す機会があった。イベント準備を通して仲良くなっていたので、自然な流れだった。
本の話にはじまり、いろんな話の価値観が合った。なんと朝までこの日は二人で喋った。
「先輩、わたし、人生で懺悔したいことがあります」
わたしは、初めて自分の一番醜い部分を晒した。
何をいわれたかは覚えてない。たぶんなにも言われていない。彼はただ受け入れてくれた。
しずかに耳を傾け、聞き続けてくれた。
この日わたしはおばあちゃんが死んで、初めて泣いた。
彼はそれから間もなく彼氏になった。
そんな雰囲気もなかったのに、あの夜がきっかけになって、わたしたちの距離感はあきらかに変わった。いろんな話をたくさんたくさんしたのはあるけれど、人生で一度の懺悔を聞いてくれた彼との絆は不思議なもので、彼は以降母親との関係で摂食障害やうつになった私を何年にもわたり支え続ける。
もしかしたら、もしかしたらだけど、私の懺悔をおばあちゃんがどこかできいていて、これから来る苦難のために彼を私に引き合わせてくれたのかもしれない。彼がいなければ、わたしはとっくに自分で自分の命を断っていたと思う。
有名な霊媒師に聞かれ、言われたこと。わたしは涙が止まらなかった
それから二年後、わたしは有名な霊媒師のもとを訪れた。
「ねぇ、あなたを特別かわいがってくれたおばあちゃんかおじいちゃんがいた?」
とすぐに聞かれた。
「はい、母方の祖母に育てられました」
「その人が、あなたの守護霊についてる」
涙が止まらなかった。
「ありがとうもごめんねも言えなかったんです」
「あなたのおばあさまは、そんなこと関係なく、あなたを心から愛していた。いまもそうだ。そしてあなたが子供の頃にしたことなんて一切怒ってない。そんなことは関係ないくらいの大きな無償の愛をくれていた人だ。お母さまには愛されなかったかもしれない。でも、どんな人にも愛を与えてくれる人が何かしらの形で現れるものだよ」