「緊急事態宣言の対象となっている6つの都府県について、(中略)期間を9月12日まで延長することを決定いたしました」
テレビ越しに菅総理が淡々と発する言葉。そこに感情が見えたことはあまりない。
立場的に、感情的になることは良くないとされるのだろうが、政治家である前に彼もひとりの人間で、家族や友人がいて、そういう大衆的な泥臭い部分が少しでも垣間見えれば、なんだか少しは救われるのではないかと思ったりする。
数字(支持率)に反映されるかどうかは別として、仮面のような顔が四六時中テレビで流れるだけの日々は、私はあまり好まない。
果たして、次の総裁はどんな表情を見せる人になるだろう。
もう、何度目の宣言か。素人目にも、明らかに行き詰まっている政府の対策。第5波というあまりに大きなその波は、激しく荒れた海のように、人々の感情という岩を少しずつ削り取っている気がしてならない。そして、削られ続けた岩は、みな揃って丸くなり、自粛という波に流される時期をとうに過ぎ、今では、一部の岩がさまざまな棘や窪みを新たに形成して、今度は人流の波に自ら揉まれに向かっている。
もう少しの我慢だから、宣言が明けたらね。
今年の夏はそうした言葉すら、いつしか人々の会話の中から薄れて消えつつあるようだ。
去年2月。従来の日常の中で、旅行という非日常を味わっていた
「今年は、旅行いくのやめとこっか」
ちょうど1年前の夏、友人らと交わした次への約束。
「そうやね!また年末とか、来年とか、もうちょっと落ち着いたら行こ!」
これまで、幾人と何度この会話を繰り返してきただろうか。
私だけじゃない。日本にいる、いや、世界中の多くの人が経験したことだろう。
「撮るよー!もっと寄って!」
顔を近づけて、歯を見せてあの写真を撮ったのは去年2月。
高校の同級生と訪れたのは、岐阜県北部に位置する高山市。古き良き町並みを闊歩する、食欲旺盛な4人組。口の中で溶けるような飛騨牛の握り寿司で始まり、甘く芳醇な香りが広がるモンブラン、そして夜は新鮮なノドグロや濃厚チーズの創作料理など……、思わず頬が緩んでしまうほど美味しいものをたらふく食べた。
思い返せば、魚の種類を説明してくれた店主も、すれ違う観光客も、もちろん私たちも、まだほとんどの人がマスクを付けていない従来の“日常”の中で、旅行という非日常を味わっていた。
「次の旅行も楽しみやね!」
「次は韓国!あ、北海道も行きたい!」
帰宅した後も幸せな余韻に浸りながら、当然のように次に会う話をしていた。
次に会えたのは旅行から半年が経った夏、8月。クーラーの効いた自分の部屋で、友の声はスマホから聞こえてきた。
それでも、口元が、表情が見えるというのは嬉しかった。ということは、この頃には既に、マスクがすっかり日常生活に侵食(定着)していたということなんだろう。
被災地の映像を見て、最初にマスクをしていない人に目が行って…
「熱海で大規模な土石流が……」
「記録的な大雨が九州地方を中心に……」
衝撃的な映像というのは、いつ見ても無意識に目を逸らしてしまいそうになる。
あれ、今映ってる人、マスクしてないけど大丈夫かな。
まるでマスク着用が当たり前のように考えている自分に気が付いた。いやだ。
災害現場という非常時に、この蒸し暑い中で、復旧作業をしながら常にマスクをつけているなんて、一種の拷問のようなものだろう。感染予防のためには重要だが、でも、もしかしたら浸水被害などで、そもそも清潔なマスクを確保できないのかもしれない。
私は過去に何度か、仕事の関係で被災地に足を踏み入れたことがある。現場に着いて、まず気になるのは、そこに暮らす人たちが無事かどうか。兎にも角にも、死者がいないことを、なるべく少ないことを願う。
今年の夏は、被災地の映像を見て最初に頭に浮かんだのが、マスクの有無だった自分に吐き気を覚え、そんな今の“日常”に嫌気がさした。
感染者が増える中でのオリパラ。「本来なら」と至る場面で感じる
「日本勢のメダルが史上最多に!」
感染者数がじわじわと増え続ける中で開催されたオリンピック。そして、爆増の真っ只中で開会したパラリンピック。まず違和感があったのは、報道の姿勢だ。
全社の全番組を見たわけではないので異議も生じるかもしれないが、少なくとも、ある番組では開会式の直前までは、コロナの状況がこんなに悪化しているのに本当に開催するのか、という視点が豊富に盛り込まれていた。
しかし一転、開会されてみれば、金メダル銀メダル銅メダルのニュースの嵐。もちろんコロナの情報も伝えてはいるものの、明らかに五輪とは切り離したスタイルに見える。
始まってしまうと、もうどうしようもない。そうだろう。政治もお金も権力も、あらゆる蔦が絡まった五輪というイベントは、まるで坂を転がり落ちる巨岩のようで、誰もその勢いを前に立ちはだかることはできなかった。最後まで反対運動をしていた人も、結果その巨岩の動きを止めることはできなかったと言えよう。
そして、違和感はもうひとつ。個人や競技による差こそあれど、スキンシップの変化も気になった。コロナを意識した、選手と指導者らの距離感。感染予防のためには今や当たり前の光景。でも本来なら異例の光景なんだろうな、と。もっと激しく抱擁したり、雄叫びを上げたり、積もり積もった感情が噴き出すはずの場面なのに……。無観客での開催、私としては賛成だったが、やはり寂しげな空気を至る場面で感じた。
きっと出口はある。来年こそ、「今年の夏は!」と思えるように
2021年8月。今年の夏が、もう少しで終わる。
今年の夏も、旅行には行けなかった。帰省して故郷をこの目で見られなかった。会いたい人に、自由には会えなかった。思いっきり深呼吸ができなかった。気になるあの人の素顔を、まだ知らない。
来る2022年。長いトンネルの途中にいる今、まだ光は見えず何も分からない。そんな未来だが、きっと出口はあるのだろう。そう信じて、見えないからこそ期待をしよう。
次の夏こそ、「今年の夏は!」といろんな場所で思い出をつくり、思い切り笑いながら大切な人と喜びを分かち合えるのだと。できなかったことの多い夏を二度経験した私達だからこそ、次の喜びは一入身に染みることだろう。
ああ、そう考えると、やはり次の夏はより一層、楽しみだ。