「物に罪はないから」。それが私の考えだ。ドラマのワンシーンによく出てくる、別れた恋人に貰ったアクセサリーを川に投げ入れるシーンに関しては一切理解できない。婚約指輪ならまだしも、お気に入りのネックレスであればこれからもつければいいのではないか。
だって物に罪はないのだから。かと言って、物を捨てるという行為に対してはなんの抵抗もない。

持ち物の判断基準は、使えるか使えないか。それだけだ

部屋が汚くなるのが嫌だから、持ち物は必要最低限のものしか持たない。冷たい人間だと思われるかもしれないが、旅行のテンションでみんなで買った、一生出番のなさそうなビーズのアクセサリーは帰ってきて1週間ほどで容赦なく捨てるし、父が買ってくれたサンダルはひと夏で履き潰し、ベルトが切れた瞬間にもういいだろうと捨てた。
大好きだったリップも、コロナによるマスク生活に変わったため、半分ほど捨てた。私の持ち物の判断基準は、使えるか使えないか。それだけだ。
3ヶ月に1度のペースで行う断捨離の度に、物のない部屋からはさらに物がなくなっていく。その中で、なぜか生き残っている服が一枚ある。大手ファストブランドのユニセックスの黒色のVネックニット。
まず、第一に私は黒色はあまり好きではない。赤色や黄色、着ているだけでウキウキするような色を着たい。この時点でゴミ箱へ入れるには十分だ。さらに5年ほど前に買い、洗濯に洗濯を重ねたせいで、ニットなのにも関わらずシワが寄っているほどにヨレヨレだ。
これを着ると母は、「みすぼらしいからやめて~」という。私自身も自覚はあるため外では着ずに、パジャマの上から着てみたり、山登りのインナーとして着てみたり、あの手この手でこのニットの使い道を見出し、着用している。

なぜか生き残っている黒色のニットは、彼からのプレゼント

そんなに高い買い物ではないから、気に入っているなら同じものを買ってしまえばいいのに。そう思われそうだが、それも違う。これは5年前、仕事中に「寒い寒い」という私に当時の彼が自分が着ていたニットを貸してくれ、「このままあげるから風邪引かんといてな」、そういってプレゼントしてくれた思い出のニットなのだ。
もう随分と前の話だけれど、その瞬間が今でも思い出せるほどに、自分にとって心温まる瞬間で、幸せな出来事だったのだ。
あれから時間は経ち、彼はもう隣にはいない。けれどあの日の記憶か、それともその彼なのか。このニットを着ると、なんだか自分が強くなる気がする。寒い夜にこのニットを着ると、カシミアでもなんでもないのにすごく暖かく感じるし、ヨレヨレのニットのはずなのに、これを着て近所を散歩するといつもよりルンルン気分になったりする。
とはいえ、クビ寸前のそのニットを、一張羅にはできないのだけれど。みんなはニットを見る度に、「それまだ着てるの」とか「そろそろ捨てなさいね」というが、その度に私は「別に物に罪はないから大丈夫」と、返していた。

彼への愛着が消えたとき、大切だったニットを捨てた

けれど、みんなはそんな意味で言ったのではなく、純粋に着古したニットをそれ以上着るなという話だったのだろう。それでも依然としてそのニットを捨てず、着続ける自分自身の心にも正直気づいていた。
今年の冬が終わる頃、急にニットへの愛着がなくなった。あれだけ大事に大事にしていたはずなのに、「こんなボロボロなのによく着てたなあ」、そんなことを言いながら、他の用途のない洋服たちと共にポイと捨ててしまった。
これはニットへの愛着がなくなったからではない。彼への愛着がようやく消えたせいだ。大切だったニットを捨てた分、寒い季節がやってくる前、今度は体感的にニットを自分で買おうと思う。そして、服と共に、新しい出会いがあればいいな。そう思う。