私の部屋はきれいな部屋とは言いがたい。結構、散らかっているほうだと思う。
机の上はノートや本であふれているし、物の置き場所があまりない。そして、よく探し物をしている。この探している時間って無駄なんだろうなあ、ちゃんと整理しないとなあって思いつつ、忙しさを理由にそのままにしていて、何だったら探すのをちょっと楽しんでしまっている自分がいる。ドMなのかもしれない(笑)
本当に急いでいるときはイライラしてしまうけれど。ああ、ないない。どこにあるんだろうって声に出しながら探して。見つかったときの、あの達成感。どこか満足してしまっている自分がいる。
捨てられず散らかった部屋の床に座ると、心が満たされていく
自分の部屋には机といすがあるが、気づいたら床に座っている。
どの部族かと訊かれると、私は床族だと答えるだろう。床にちゃんとお尻と足がぴったりと着いている感じが、どこか落ち着くのだ。壁にもたれながら床に座って携帯をいじったり、ごろごろ寝転んだりして休みの日の大半を過ごしている。
人より整理整頓が苦手なのかもしれない。よく世間で断捨離が大事っていうから、私も捨てなければと掃除を始めるのだが、なかなか捨てられない。きれいに片付けられた他人の部屋をネットとかで見ると、羨ましいとは思うが、一方でどこかそわそわ落ち着かない自分がいる。周りに物がたくさんあるほうが、何だが心が満たされる。そうして気づけば汚い部屋になってしまっているのかもしれない。
お気に入りの本、お気に入りの服。旅行に行ったときに買ったお土産。昔書いた日記。
ぜんぶがぜんぶ、自分にとって大切で、使わなくても、愛着が湧いて捨てられない。周りの物たちが、自分を近くで見守ってくれているような。そばにあることでどこかほっとして、やっぱり捨てられない。
元カレにもらった物もそうだ。鞄やイヤリングが捨てられずにいる。捨てたほうが未練も残らないし、そのほうがいいと思うんだけど、すごく気に入っていた物だけはどうしても捨てられない。物に罪はないから大丈夫! と自分に言い聞かせて正当化している。ただもったいなくて、欲張りなだけかもしれないけれど。
整理整頓できないと仕事ができないというけど、その不器用さが私らしい
よく一般的に整理整頓ができていないと、頭の中も、ぐちゃぐちゃで整理できてないよ、仕事もできないよって言うじゃない? それでいうと、私は仕事ができないタイプなのかもしれない。
幸い、自分の仕事は事務とかではなく、書類もそんなに扱わない。だから他の人に迷惑をかけることもないし、今のところ支障をきたしていない。だけど、私の頭の中は常にぐちゃぐちゃなのだろうか? ふつうじゃないのかな?
部屋だけではない。私はノートもそんなにきれいなタイプじゃなかった。学生時代、板書や先生が言っていたことをノートに書いていたとき、自分の中で書きたいことがあふれすぎて、たくさんの文字でびっしりで、ぐちゃぐちゃのノートだった。
ちらっと目に入る他の女の子のきれいに整頓されたノート。それに比べて、自分のノートは……ってコンプレックスを抱いていたことも正直あった。でも、あのときの自分は授業に真面目に参加していて、先生の言ったことばが、どれも大事に思えて、一つも聞き漏らさないぞ! と、必死に書いていた。ぐちゃぐちゃノートには、熱い学びの姿勢が表れていたと思うんだ。そして、そんな不器用なところが自分らしいとも思う。
気になったら思ったままにでどこでもメモ。このメモがネタに変わる
今でもメモを取るときは、あいかわらずのぐちゃぐちゃだ。もちろん人に渡したり、提出したりする書類はきちんと丁寧に書くよ。でもそれ以外は基本、乱れた文字で書いている。紙が近くにないときは、チラシの裏や届いた封筒の裏にメモ。ファミレスだったら、テーブルにあるティッシュとかに書いちゃったりすることもある。
私はこれからも自分らしくメモを書いていく。きれいに整頓されたメモよりも、ちょっとお茶のシミとかが付いたりしているほうが、なんか自分にぴったり合っている気がするから。
たまに自分でも何て書いてあるのか、見返しても分からず、文字の解読から始まることもある。でもそれも、何だかちょっとおもしろくて。
焦って文字を書いているところ、不器用で頭でっかちなところが、自分らしい。ぐちゃぐちゃなメモ、ぐちゃぐちゃの頭でもいいじゃない。かっこ悪くてもいいじゃない。ふと頭に浮かんだことや視界に入ってきていいな! って思ったものは、逃したくなくて、忘れたくなくて。その場で、その瞬間に、自分の文字として残しておきたくて。
何かのネタとして使えるかも! ってなって。そうして、生まれたネタで、このエッセイが出来上がったりもする。