私は、文章を書くことが苦手だった。学生の頃は、母に怒られながら作文を書いた。字が汚い。文がおかしい。原稿用紙の使い方が正しくない。言葉の使い方が間違っている。よく全て消されては、書き直しをさせられた。書き直しても上手くなることはほとんどなかった。最終的に、姉や母が添削し、その文章を見ながら書くことも多かった。私は自分の語彙力のなさや文章能力のなさにうんざりした。文章を書くことが下手なことは、今までの経験でよくわかっていた。急に上手くなることもないし、センスが突然よくなるわけでもない。

拙い文章でも、エッセイを書くことにした。気持ちを楽にさせるために

でも、私はエッセイを書くことにした。文章は下手でも、私にはたくさんの経験という財産があった。文章のうまい、なんとなく生きてきた人のエッセイよりも、文章の下手な、懸命に足掻いて生きてきた人のエッセイの方が魅力的だと思ったからだ。
私の生きてきた人生は、良いこともあったが、どちらかというと良くないことの方が多かった。記憶に残る傷ついた出来事。こびりつく記憶と感情。モヤモヤした気持ちがいつまで経っても拭えない。これを、これから先……引きずって生きていくのかと思うと息苦しささえ感じた。
エッセイを書くことは、自分の気持ちを楽にさせるものになると考えた。拙い文章かもしれない。でも、書くことで何か別のことに気づけるかもしれない。そしてエッセイを書いた。

エッセイを書くことで、過去の自分の弱さ、未熟さに気づいた

過去の出来事を思い出しながら、1つ1つ言葉にした。うまくいかず、誰かのせいにしようとしたこと。自分で全て背負おうとして、潰れそうになったこと。不安で、誰かに寄りかかってしまったこと。
信じたくて、裏切られても信じようとしたこと。なんとかしようと、どうしようもないことに、自分から巻き込まれに行ってしまったこと。回避できたはずの危険に自分から足を突っ込んでしまったこと。素直になれずに、本当のことを話せなかったこと。人によく見られようといい顔をして、自分の気持ちを抑え込んだこと。
考えて書いていくうちに、少しずつ気づいていった。結局……自分の弱さ、自分の未熟さ、自分の情けなさが招いたことが多かったことに。罪だ。自分の罪だった。今までの経験は、財産と思ってきたが、自分勝手に引き起こした罪にまみれた出来事ばかりだった。
自分だけが傷つき、理不尽な世の中に抗い、辛い思いをしたと感じていた。しかし、実際振り返ってみると、そうではなかった。自分が勝手に傷ついただけのことも多かったのだ。
書かなければ、ただただ周りが理不尽だとふてくされるところだった。エッセイを書くことで、その罪と向き合うことになり、過去の自分と向き合うことにもなった。

もっと強く、もっと魅力的になるために。これからもエッセイを書く

そしてエッセイを書き終えたとき、自分の気持ちが軽くなり、頭の中がクリアになった。考え方で変えられる。
自分が抱いた罪の意識も、自分が感じた理不尽さも、自分が傷ついたと嘆いた日々も、過ぎ去ってしまったけれど変えられる。ただ「良くなかった出来事」で片付けるのではなく、これからどうしたらいいか、整理されて気付かされる。
私は、エッセイを書いたあと、一皮剥けるのだ。ただ傷ついたと嘆いた日々を、この先の人生に活かせるようになる。これから先、もっと辛く苦しいことが待ち受けているかもしれない。でも、私はエッセイを書くことで超えたいと思った。
エッセイを書いた後に、私が強くなるためにぶつかった壁だったと思えるように。だから私はエッセイを書く。良くなかっただけでは終わらせない。これから私は強くなり、もっと魅力的な人になってみせる。