母が子宮全摘出手術を終えた。
子宮。女に在る物。私と妹が入っていた物。

母に見つかった筋腫の検査結果が出る前、怯えながらエッセイを書いた

緊急事態宣言が連発され桜の匂いをまともに嗅ぐ機会もなかった春、母の腹の中に直径10cmを超える大きさの子宮筋腫が見つかり、天と地がひっくり返った我が家だった。
良性か悪性か、生か死か。
検査結果が出る前、怯えながら母についてのエッセイを書いた「母の子宮がいてくれたから、今の私がいる。母の命を奪わないで下さい
私と、4歳下の妹と、8歳下の妹、3人を産んだ偉大なるこの子宮に、どうか母を悪いようにしないでくれと願った。

結果は、直ちにどうにかなってしまうような悪性腫瘍ではなかった。しかし今後のリスクを断つ目的で、子宮全摘出が決まった。
このご時世なので、手術日を含めた約1週間の入院中、面会は一切叶わずLINEで連絡を取るのみ。臓器がひとつなくなることへの嫌悪は感じていないようだったけれど、いざ手術の前日、流石に「緊張する、怖い」と言っていた。全身麻酔をかけて腹の中を動かすのだから当然だ。

母の子宮全摘出、できるなら私が代わってあげかった

私は、交代してあげたかった。
子宮。女に在る物。私にも在る物。必要のない物。
犬や猫、動物たちは、産む産まないに関わらず、子宮の存在の是非を自身に問うことなどないだろうに、人間には無駄な思考の余地が多すぎる。
初めから備わっている臓器なのだから、生物として女は子供を産むことが前提に出来ているのだろう。しかし私はその前提、務めを、果たさずに生きたい。
大手を振って披露できる理由を考えてみても、ぼやん、としていてよく分からない。
ただ、今まで何度も失敗し、成功し、遠回りし、幸せになる為の人生計画を組み立てる中に、子供を持つという考えが出ないだけだった。
人生で手に入れたい物、幸せの形はそれではない、ただそれだけなのに、世間は許してくれない風潮が、まだ少し在る。
結婚しないのは、子供を持たないのは、誰もが同情する特別な理由がない限り変だという空気。「無理して独りでいるんじゃないのか」という潜在意識。

「美術部っぽくない」という言葉に隠れる悪意は、世間の目に似ている

ああ、これは中学校で美術部に入っていた時に似ている。
様々な年代の人に「部活といえば?」と聞いたら、多くが運動部の名を答えるのではないだろうか。将来どの部活に入ろうかと考える子供たちは漠然とスポーツ姿を浮かべ、大人たちも、スポーツで得た経験は社会に出た時に大いに役立つと考える。それをイメージする時、少数派の文化部のことは思い出さないのではないだろうか。

私は中学生当時「美術部っぽくないね」と何度か言われたことがあった。
運動部が主流となる中で美術部というのは、影薄いとか、オタクとか、帰宅部と何が違うのとか、そういった言葉が囁かれた。
運動部に入れなかった人たち、こちら側に来れなかった人たち、という潜在意識が、悪意とは違う形で存在していた。
この憐憫じみた眼差しを、独り身であることを理由に今後も向けられるのではないかと憂鬱だ。もちろん、そんな人はこの時代ごく少数かもしれない。しかしたった少数でも、いない世の中になってほしい。私はただ、幸せの為に美術部を選んだだけなのだ。

母への強い尊敬を再確認する。私に子宮が在ることに矛盾を覚えながら

手術開始から数時間。
私と妹たちを育ててくれた、あったくて優しいあの子宮こそ、母のお腹の中に永遠に存在するべきで、取り出されてはいけなかったんじゃないかと考える。
人体に余分な臓器など本来ないはず。毎月生理が来る度に、この子宮、使いもしないのに一生懸命に働かせてしまってごめんと腹を見やる。

あっという間に秋になっている。
いつだったか、新生児についての悲しいニュースを見た母が「だったら私が育てたいのに……」と呟いた。
母は、赤ちゃんを愛し、子育てを愛し、幸せを探し生きた人なのだと強く尊敬を抱く。
そして私は、再確認する。子宮が在ることに矛盾を覚えながら。