元々胃が弱くしょっちゅう市販薬を飲んでいる母だが、今回はよほど辛かったらしく近所の診療所へ。症状は一時的なもので、念のため後日胃カメラを入れようということで収まったようだ。
しかしそれとは別の問題が触診によって指摘された。「お腹に何かあるね。かかりつけの婦人科はある?」と。
母が婦人科に行き、「腹部に10cmの塊が見つかった」と言った
母は55歳。26で私を、31で妹、34で妹を産んだ超偉大な功績を持つ女。真ん中の妹がお腹にいる時に、子宮に筋腫があると分かったらしい。月経のある女性の4人に1人にできると言われている子宮筋腫。こいつ自体は良性腫瘍で、母の場合幸い妊娠に影響はなく、数年後には末の妹も生まれた。
母はすぐにかかりつけの婦人科へ行った。かかりつけといっても、最後に訪れたのは何年も前で、その時の検査では筋腫の大きさは直径1.4cmだったそうだ。それがエコーを撮ってみたら、まさかまさかの10cmというではないか。
手をグーにしたよりも大きい。ハンバーガーくらいは平気である。で、でかい! けれどその場で正体が分かるわけもなく、設備のある病院でMRI検査を受けるために紹介状を貰って帰ってきた。
ここで結論を言うと、いや結論と言えるのか微妙であるが、MRI検査の結果はまだ来ていない。腹の中の筋腫が何なのか、現時点では分かっていない。しかし、今この瞬間も存在するハンバーガー大のそいつは、もう十分すぎるほどに私たちを追い詰め、変えてしまった。
未来が「永遠じゃないこと」は知ってる。でも、うちの家族に限って
やめておけばいいものを、私は母から聞いた内容を手がかりに、夜中一人で布団に隠れながらネットで調べてしまった。やめておけばいいのに。症状にぴったり当てはまる最悪な病名が、あった。どのサイトを見ても同じ。読めば読むほど不安が増すのに、どうしてこういう時って検索する手を止められないのだろう。それは同じ症状がおきる中でも、非常に稀だという。取り出して、調べてみないと分からないという。悪いモノか悪くないモノか、ふたつにひとつだ。
全く違うふたつの道がこの先にあって、私たち家族はどっちに進むのかまだ知らない。今は、その“稀”という言葉にすがるしかない。永遠に続くものなんてないのは知ってる。明日が来るのが当然だって思っちゃいけないのも分かってる。でもやっぱりうちの家族に限ってって、思ってしまうよね。未来を疑うこんな気持ちは、本当に突然やってきてしまった。
まだ、結果は分からない。だけど、右か左かどちらの道だろうと、知ってしまったらもう文字にする勇気は出ないだろう。今だって手が震えている。大切な人の身に危険が及ぶ可能性という恐怖に、甘ったれた半生を送ってきた私は容赦なく打ちのめされている。
「もし悪いものだったら、ってやっぱり考える?」と本人に聞く。「良いパターンから最悪のパターンまで、何通りも考えてあるから大丈夫」と母は言った。弱音は出てこない。
母の子宮がいてくれたから、私たちは生きている。だから脅かさないで
でも今まで言わなかったような、未来を案ずる類の発言をするようになったことも、芸能人の訃報に興味を示していることも、がん保険のCMに一言コメントするようになったことも気付いてる。“今”を大切にしようと意識しているのも空気で分かるよ。私が「3人も頑張って産んだから、使いすぎちゃったのかなあ」なんて冗談ぽく話しながら母のお腹を強めに押すと、ある。硬い何かが。「それはないよ」と笑う母。
未来が見えないことは怖い。だけど思い描く未来なんて、最初から想像の産物であって、誰にも見えてなんていないんだった。
私たち三姉妹が入っていた子宮。ひとりひとり、大切に守ってくれていたこの偉大なる場所。お母さんと一緒にあなたが頑張ってくれたから、私たちは生きている。その子宮を憎みたくない。どうか母の命を脅かさないでくれ。
あの子がいたから、それは母の子宮。私はこんなに大人になってやっとあなたの存在を感じている。あたたかくて、気持ち良くて、安心しきったあの感覚を思い出せるような気さえしてくる。どれだけの大仕事をこなしてきたのか、想像もつかない。だけど、もう少し頑張って。