今より少し若い、24歳ぐらいの頃の話。
知り合いの紹介で入った会社。部署は男ばかり。でも、恋愛に発展することはないだろう。
何故なら、好みのタイプがいなかったから。「新しい環境に飛び込んだのに、ついてないなぁ」っていうのが正直な感想。

波長の合う仲の良い先輩。彼女になりたいと思えないのは既婚者だから

仕事はきつかったけど、人には恵まれていたと思う。仕事終わりに飲みに行くぐらい仲のいい部署だった。
その中でも特に仲のいい男の先輩が1人いた。別に顔も体型も好みではないけど、何となく波長が合う感じ。気が合って居心地が良かったけど、私は、その先輩の彼女になりたいとは思わなかった。

理由はたった1つ。既婚者だったから。わざわざ昼ドラみたいな沼にハマる必要はないと思った。
当然、先輩と付き合うとか恋愛的な進展はない。でも、たまに2人で飲みに行くようになった。もちろん、仕事の先輩後輩として。美味しいお酒やご飯を食べて帰る。それだけ。
でも、あの日、私たちは間違いを犯したんだ。

あの日もいつもと変わらず、2人で飲みに行った。その移動中、不意に先輩の手が私の手に触れた。歩いてる距離が近いからだと思って気にせずにいたら、私が鈍感な女に見えたのだろう。先輩の方から手を握ってきた。

嫌だったら振り払うことも出来たのに、私は先輩の手を受け入れた。
今日だけならいっか。お互いお酒も飲んでいるし、都合が悪くなったら「覚えていない」って言えば良い。その時の私は、そんな甘い考えが自分を苦しめるなんて思ってもいなかった。

先輩が言った「愛してる」の一言で、制御してきた気持ちが壊れた

手を繋いだ。たったそれだけで恋が始まるとは思っていない。次の日、覚えていないって言葉を待っていたのに、先輩はしっかりと覚えていたし、今まで以上に2人で出掛けることを提案してきた。
頭のどこかでまた手を繋ぎたいと思っている私は、内心嬉しかった。好きとか愛してるとか、明確な言葉はなかったけど、ただの先輩後輩ではなくなった瞬間だった。

飲みに行く度に、繋ぐ手。駅で解散するときは、ハグをするようになった。気が付けば、一人暮らしの私の部屋で過ごすことも増えた。いつもは終電で帰る先輩がそのまま泊まった日もあった。
さすがに私の自制心が働いてくれて、何もせずに別々に寝たけど、この関係が良いわけない。先輩を突き放して、この曖昧な関係を断ち切ることなんて、いくらでも出来たはず。
でも私は、先輩が離れていくことが怖かった。

曖昧な関係が続いたある日、先輩が言った。「凛紬のこと愛してる」って。
今まで言われたかった言葉。でも、言われたらダメな言葉。
このたった一言で、自制心が壊れる音がした。迷いもなく、そのままキスをして、体を重ねた。好きな者同士が愛し合って嬉しいはずなのに、どんどん苦しくなった。
あぁ、沼に堕ちていく。昼ドラの主人公になった気分。

現実に引き戻される感覚。見つけたのは、先輩の奥さんのSNS

そんな時、先輩の奥さんのSNSを見つけてしまった。「知り合いかも」の欄に女性のアカウントが出てきたから見てみた。名前を見て、もしかして?って思ったけど、まさかその勘が当たるとは。
そのアカウントには、先輩やお子さんの写真が投稿されていた。私に見せていた顔とは全然違う。現実に引き戻される感覚。私には家族をぶち壊す勇気も覚悟もない。一気に冷静さを取り戻す。

先輩は家族っていう存在がいて、私っていう都合のいい関係を作る最低な男。自分の欲に負けてしまう男。もし、先輩が私に純粋な愛を注ぐことがあっても、先輩はまた都合のいい関係を作って同じことを繰り返すだろう。
これ以上この関係を続けても、私は幸せになれない。先輩のクズなところを沢山思い浮かべて、関係に終わりを告げる。一方的に突き放して、私のクズな恋愛は終わった。

あの日、先輩の手を受け入れなければ、私たちは今も仲のいい先輩後輩でいられたのかな。
でも、あの手を受け入れたから、クズな男を知ることが出来た。
今なら言える、「ありがとう」って。