1月12日。スーパーからの帰り道、急に涙が流れてきた。テレビを見ていても、ご飯を食べていても、ベッドに入っても涙は止まらなかった。とうとう私は泣きながら眠った。翌朝目が覚めて、顔を洗って、テレビをつけた頃にはもう泣いていた。
涙が止まらない。このまま1人でいるのは危険、限界だ、と思った。助けを求めて、泣きながら母に電話をした。必死だった。母の勧めもあり、私はその日のうちに荷物をまとめて実家へ帰ることにした。
病気が見つかった。日常的に踊っていた私にとって、それは深刻だった
それまで私は大学院の博士課程に在学し、ダンスに関する研究をしていた。研究の傍、学外でもダンス公演に出演したり、小さいながら企画を主催したり、ダンスの講師をしたりと充実した毎日を過ごしていたと思う。
そんな私が追い詰められたのには、思い当たる理由が2つあった。
1つは病気が見つかったこと。免疫不全により骨がボロボロになっていく関節リウマチという病気になった。
日常的に踊っていた私にとって、それは深刻なことだった。踊った次の日には関節痛があり、ひどいときには関節が腫れる。レッスンや公演の稽古はほぼ毎日あったから、痛みを騙しながらまた次の日も踊った。身体に無理を押して踊り続けたことで症状は悪化し、痛みで踊れない日も増えていった。
あいにく関節リウマチは治る病気ではない。大好きなダンスが思うように踊れなくなったことは、私にとって大きなストレスになっていた。痛みに耐えて踊りながらダンスの研究を続けていくことにも苦しさを感じるようになり、大学院へ通うことも辛くなっていった。授業のある日に熱が出たり、腹痛がしたり、そういうことが増えていった。
付き合っていた彼に嘘や隠し事を繰り返され、信じようと努めたけど
もう1つは恋愛。私が付き合っていた相手は、嘘や隠し事が多い人だった。隠れてマッチングアプリをしたり、彼女がいることを隠して女の子に会ったりしていた。
そういうことが繰り返された。その度に話し合って、関係を修復して、彼を信じようと努めた。それでもまた、彼は嘘をついた。
彼の嘘も5度目になったとき、ついに私は壊れた。パニックを起こし泣き喚いたし、一晩中彼を責めた。それから私は疑うことから逃げられなくなっていた。疑いたくなくても疑ってしまう。責めたくなくても責めてしまう。そんな自分をどんどん嫌いになっていった。
彼は彼なりに信頼を取り戻そうと努力していたのだと思う。けれど、壊れた心は簡単には元通りにならなかった。5度目の嘘から4ヶ月が経った頃、私から別れを告げた。これ以上一緒にいてもお互い辛いだけだと思った。
別れてからも辛かった記憶がついてまわり、何度も嘘をついた彼のことも、彼を許せなかった自分のことも、責める気持ちが収まらなかった。今となっては、もっとはやく離れていればと思うけれど、当時の私は「彼を信じたい」その一心だった。
限界を迎え、療養することに。必死で走り続けてきた自分を労わるように
限界を迎えた私は、精神科で「うつ状態」との診断を受けて、実家でしばらく療養することになった。初めは2、3ヶ月休めば元気になると思っていたけれど、そう簡単には行かなかった。大学院は休学、勤めていたダンス教室も辞め、決まっていた仕事の内定も辞退した。
休んでいる間、どうしてもっとはやく逃げなかったのかと自分を責めたりもした。一方で、必死で走り続けてきた自分を労わることもできた。初めはネガティブな思いに押しつぶされそうになっていた私も、時間と共に気持ちが癒えて、少しずつ前向きにこれからのことを考えるようになった。
今度はもっと自分を大切に、自分を追い込まない選択ができるようになりたい。苦しいときは自分を上手に逃してあげたい。最近では、これも私の人生にとって必要な時間だったのかもしれないと思えるようになってきた。
9月12日。泣きながら眠ったあの日から1年と8ヶ月、私まだ回復の途中にいる。思っていたよりずっと時間がかかった。
それでも、あの夜を越えて、休むことを決断できたから、今の私がいる。限界まで耐えた自分と限界に気づけた自分に向き合う日々を過ごしながら、少しずつ前を向いていこうと思う。