大事なところで我慢してばかりの私は、初めて、仕事場から1人で飛び出した。春の夜のことだった。
あの夜があったから、私は少しだけ我慢をしなくなった。
20歳の時、アルバイト先の宿にいることが辛くなって静かに飛び出した
まだ20歳の春、私は2日間通しのアルバイトで宿に泊まっていた。学校関係のバイトだ。場所は京都市役所近く。先生の他に学生もたくさん泊まっていた。
1日目の夜のフリータイム、私は話し相手がいなかった。同じスタッフである宿の部屋のメンバーは部屋にはいなかった。何処へ行ったのだろうか? 探してみたら、他の部屋に行っているようだった。
別の部屋から様々な声がする。何の話をしているかはわからない。笑い声が部屋から漏れる。廊下にも人がいて、まるで学校の廊下だ。
そこにいることがどこか辛くなった私は、貴重品だけを持ち、耳には猫のイヤリングをし、コートを着て宿を静かに飛び出した。誰にも見られることなく。
別に宿から一歩も出てはいけないという決まりはなかったが、気が引けた。フリータイムといいながら、仕事を頼まれる可能性も勿論あるので。しかし、私は宿を飛び出した。
目的地はなく、私はただただ音楽を聴きながら夜道を歩いた
車が次々と走っていく。時にはクラクションが鳴る。風が吹いている。長く伸ばした私の髪が揺れる。何処に行きたいわけでもなく、とりあえず鴨川の方へ歩いた。何となく川の方へ行きたくなった。
歩く途中には、高瀬川があり、飲食店などが立ち並ぶ木屋町通がある。私は鴨川へ歩いて行くことをやめ、高瀬川沿いを1人で歩いた。すれ違う人はスーツを来た人や、水商売の人もいた。そういう街であった。木屋町には、キャバクラなどもある。
目的地はなく、ただただ、高瀬川沿いを歩いていく。音楽を聴きながら。何の曲を聴いていたかは覚えてないが、しっとりとした曲だった気がする。
途中桜が咲いていた。夜桜。どこか綺麗な雰囲気と怪しさとが織りなす空間。夜の街の切なさも重なり、私の心に突きつけた。
立ち止まる。桜が風のせいで揺れる。時折花びらが舞い、私の視界をよぎる。「君は1人かい?」と私に言ってくるかのように桜が私の周りを舞う。「1人だよ」。
鞄からスマートフォンを取り出し、画面をカメラに切り替え、シャッターボタンを押す。ブレブレの夜桜は最早夜桜ではなく。そこにある立体物にすぎなかった。でも、それで良い。
何枚か撮ったが、暗いだけで上手く撮れなかった。撮り終わり私の気が変わり、宿に戻ることに決めた。帰りは木屋町通を通らず。河原町通へ。
何事もなかったように宿に帰った私に、他のスタッフから声をかけられた
何事もなかったように宿に帰り、廊下を歩いていた。そしたら同じ仕事のスタッフに声をかけられた。「これからみんなで夜桜見に行くんだけど、一緒に行かない?」。
一瞬間が空いた。私は「うん、行く」と言った。再び私は宿から出た。他のスタッフ数人と一緒に。
鴨川の方へ喋りながら歩いた。何を喋っていたかは覚えていない。高瀬川と木屋町通を通り越し、今度は鴨川へ。そっちの方はあまり桜が咲いてなかった。ただただ、喋りながら夜道を歩いた。
途中私はずっとしていたネコのイヤリングを落としたが、捜そうとは思わなかった。場所が暗いだけでない。メンバーに捜させるわけにはいかないという思いが生まれただけでない。夜に感じた思いを形にして、置き去りにしたかったから。
私は、1人は好きだが孤独は苦手。それを感じた出来事。その場を飛び出すことで解消されるわけではないが、それが精一杯その時の私が出来ることだったのだ。
私は時々今でも、発作のようにその場から飛び出すことがある。それは何かのサイン。無理をしないための行動。
我慢しろ、という教えは様々な場面で遭遇してきたが、無理して我慢する必要は何処にもない。自分が壊れないように、戦って疲れすぎないように、生きていかなければいけない。