あの夜があったから。

心がつぶれてしまいそうだった。生まれて初めて、苦しくて眠れない夜を過ごした。あまりに泣きすぎると、涙は枯れるのだと知った。

私、21歳、冬。一世一代の大失恋をした。

失恋し誰からも愛されないんじゃないかと、怖くて消えてしまいたかった

友達に慰めてもらっても、甘いものを食べても、心はずっと苦しくて、夜に一人になると、もう私は誰にも愛してもらえないんじゃないかと、怖くて怖くて、消えてしまいたかった。

そんな状況だったからか。やろうと思ったことも、その度胸もなかったマッチングアプリをダウンロードして、虚ろな目でポン、ポン、と届くメッセージを見つめていた。

「ソフレ希望、今夜暇です(※ソフレ…添い寝フレンド)」。嘘かほんとか分からないようなプロフィールの、同じ大学だという男の子と会うことに決めた。何でもよかった。ただ、痛いほど孤独な夜に、誰かにそばにいてほしかったのだ。

待ち合わせ場所に来ていた男の子は、シュッとしていて案外(と言ったら失礼かもしれないが)かっこよかった。照れたようにはにかむ笑顔はかわいくて、ヤケクソの行動とはいえ、一応警戒態勢でいた私の心を溶かした。

「危ないっすよ、アプリで会った男なんかすぐに家にあげちゃダメっす!」。先ほどアプリで会った男が、「お邪魔します」と丁寧に靴をそろえながら説教してくる。どの口が言うのだ。私が一つ年上だと判明してから、体育会訛りの敬語で話してくる彼は、人懐っこくて結構おせっかいだ。

「でも、メッセージで家に上がる約束までしたじゃん」。
「それがダメなんっすよ!!ほかの男にはやらないでください!絶対ダメっす!」。
すごく真剣に訴える姿を見て、自分はどうなんだ、と心の中で突っ込みながら、確かに危ないことをしている、とぼんやり思った。

いくら自暴自棄になっているとはいえ、見地らぬ男を家に上げるなんて、我ながら大胆というか、無鉄砲すぎる。親が知ったら勘当ものだ。

会ったばかりの知らない男の腕枕。でも、すっぽりと私にはまった

この案外ちゃんとしてそうな男の子に当たったの、相当幸運だったかも……と自分の馬鹿さに呆れつつ、私たちはゆっくりとお互いの話をしていった。彼の部活のこと、私のサークルのこと、偶然にも共通の知り合いがいたこと。

会話は、なかなか盛り上がった。時計は深夜1時を周り、お互いに、なんとなく、この後の展開を探しているのが分かった。

「寝ようか」そう切り出したのは私だった。彼は一瞬戸惑いの表情を見せたが、「ハイ」と言って、遠慮がちにごそごそベットに入ってきた。髪からはシャンプーの匂いがして、あ、お風呂入ってきてくれたんだな、と頭の隅で思った。

「ほんとに危ないですよ」と今までにない近い距離から、真剣な目で言われる。ベットの中って、その瞬間だけ、世界に二人だけしかいないみたいに錯覚してしまう。会ったばかりの知らない男と、世界に二人だけ。確かに、危ない。

彼の腕が私の首裏に入る。私は彼の腕を枕におずおずと頭を預けた。すぽっ。まるでそう決まっていたかのように、すっぽりと収まってしまった腕枕フォーメーション。拍子抜けするほどおさまりの良い感覚に、それまでの緊張がぷつっと切れて、二人とも笑いだしてしまった。

「なにこのすっぽり感」。ひとしきり笑った後、右頬に当たるひんやりとした冷気と、左頬に感じる温かい人の気配に心がほどける。なんで私、今日初めてあった人の腕の中で、こんなにほっとしてるんだろう。

ただポンポンと頭に触れる「大きな手」が私の心を溶かしてくれた

「私、失恋したんだよねえ」。なんで私、今日初めて会った人の腕の中で、こんな告白してるんだろう。「失恋したんすか」と男の子は、すこしの沈黙の後、戸惑いを含めた声でそう繰り返した後、不器用に私の頭をポンポン、と撫でた。

それ以外何にも言葉はなくて、ただポンポンと頭に触れる大きな手が、リズムが、冬の冷気が、人の温度が、ずっとひっ詰めていた心を溶かしてくれて、私は静かに涙を流した。彼は、気付いてるのかいないのか、何にも言わなかった。ただその夜は、ずっと頭をポンポンされていただけだった。久しぶりに、深い眠りについた。

それから半年間、あの夜本当に添い寝だけして帰っていった彼と、何度も会っては一緒の時間を過ごした。私の引っ越しに伴い、お別れしたけれど、今でもあの夜の温かさは忘れられない。

潰れそうな私を、危なっかしかった私を、あったかい手でポンポンしてくれた人。一晩中、そばにいてくれた人。あの夜が、今も私の奥の奥の、大切な部分を、ひそかに守ってくれているのだ。