恋というものは、傷つくものであるべきでしょう。
自分を見失ってしまうものであるべきでしょう。
心身の痛みに打ち震えるべきものでしょう。

そんなふうにわたしが思ってしまうようになって、もう5年になる。
その間にキスをした人は3人いるし、2年くらい付き合った恋人もいる。
でもきっとそれらは全然恋なんて呼べる代物ではなくて、レンアイめいた何物かだった。

5年前、わたしを何度も殴った男のことを思い出すと、今でも心臓が鳴り止まない。ふとした瞬間に想起されるあの瞳は恐ろしくて、脇から嫌な汗が流れてくる。

でもその鳴り止まない心臓には、僅かに、ほんの僅かに、確かな恋の気配を感じる。

わたしの傷つく体を抱きしめて泣く彼を、信じていた

20歳の時、当時のバイト先のビストロで出会った料理人だった。
全然好みじゃなかった。わたしはもっと、穏やかで、知的で、理性でものを喋る人が好きだと思っていた。
その人は真逆で感情的で、よく激昂して、読書が大嫌いで、わたしが小説を読んでいることを何度も揶揄った。
でも、真剣に仕事に向き合う姿がとても素敵で。火傷だらけの腕が逞しくて。わたしを見つめる瞳の熱さは、感じたこともないくらいで。
わけもわからないままに、恋に落ちてしまった。

仕事の時、よく後輩を怒鳴りつけている姿を見た。食材の処理がどうだとか、お客様への態度がどうだとか。時には殴っている姿も見た。料理は上下関係の厳しい世界だとよく聞いていたから、そんなものなんだな、と思っていた。
けれど、怒鳴るとか、手をあげるとか、そういうことを平気でやれてしまう人と付き合うことは、自分にもその手が振り下ろされるということだ。

わたしがバイト仲間の男の子と飲みに行くと、ものすごい勢いでなじられた。彼の方が先に、わたしのバイトの後輩の女の子とご飯に行っていたくせに。そのことを言い返すと、頬を張られた。痛くて怖くてびっくりして、泣いてしまったわたしを、彼は抱きしめた。「俺はお前が好きなんだよ」。なぜか彼の方も泣いていた。

それから、同じことを2年以上繰り返した。その間に3回別れて付き合って。何度も頬を張られたし、首を絞められて吐いたこともある。
それでも離れられなかった。

なぜって。彼が好きだった。どうしようもなく。
わたしの傷つく体を抱きしめながら泣く彼を、どうしてだか信じていた。
これが恋だと、心底思っていた。
いわゆるDVだということに、恋の最中にいる人間は気づけない。

彼に疲れ果て家を出たわたしに、彼がかけた言葉は…

わたしが大学を卒業して就職して、飲食業の彼とは、生活時間が合わなくなった。朝7時には起きないといけないのに、夜3時に仕事が終わる彼のことを起きて待っていたり、無理して平日の休みを取ったり。完全に彼を中心に生きていた。首についた指の跡が消えなくて、タートルネックで数日間なんとか着回しをしたこともある。

これが恋だ。これが。

こんなにも、疲れ果ててしまうものが?

ある日、ふと、自分が彼に疲れ果てていることに気づいた瞬間があった。
それからは早かった。何度目かにもなる別れ話をして、殴られ、なじられ、泣かれて、でも最終的には、夜逃げ同然で家を引っ越したわたしを、とうとう手放してくれた。
「最低な女だ、二度と顔を見せるな、死んでしまえ」と言って。

恋が、ようやく終わった。死んでしまえ、だってさ。

「レンアイめいたもの」は、きっとちゃんと「恋愛」だったのだけど

その後の数年で、わたしはたくさんレンアイめいたものを経験した。みんなわたしを幸せにしてくれた。わたしを殴る男なんていなかったし、わたしの予定を尊重してくれたし、涙を流させることもなかった。

でも、「これが恋だ」という強烈な感覚。
あの、自分を支える背骨が全て酸で溶かされてしまったのではないかと思ってしまうあの感覚は、一度たりとも感じなかった。いつも頭のどこかに、冷静に自分と相手を見つめる自分が存在していた。
それはきっと正常な感覚で、わたしの言う「レンアイめいたもの」たちは、きっとちゃんと「恋愛」だった。

それでも、わたしは、恋愛を始められていない。きっとこれは、彼の放った「死んでしまえ」という呪いの言葉の、一種の顕現だ。
わたしはきっと、もう一生恋愛を始めることはできない。自分を見失うような、自分の確かな背骨を、心身の全てを喪失してしまうような、わたしの言う「恋愛」を。