「親ガチャ」なんて言葉が流行っているらしいが、その言葉を借りて言えば、わたしは本当に最高の両親を引き当てたと思っている(引き当てる、というのはガチャに連なった動詞と捉えてもらえるとありがたい)。
親戚に集まりで会うおじさんは、現代でいう「モラハラ」な人だった
小さいころからやりたいと思った習い事は一通りやらせてもらっていたし、のびのび育ててもらった。
小学生高学年のころから塾に通って、勉強もそれなりに頑張っていたし、学びたいことがたくさんあった。図書館に行けば知りたいことを学べて、携帯は持ってなかったけど、親のパソコンを使ってネットで遊んだりもしていた。運動神経は大して良くなかったけど、友達にも囲まれて、何不自由なく育っていた。
中学生になったら生徒会に入ってボランティア活動に精を出し、先生からの評判もそこそこよく、まあ案の定運動神経はよくなかったけど、体育の成績も悪くはなかった。
ただ、25歳になったいま振り返ってみると、少しばかりイキがってる節があったな、とは思う。
自分の学んだことや考えをひけらかしたい、若干おイタな中学生だった。
お盆や正月等の親戚の集まりは、いつも我が家で行われていた。
そこで年に2、3回会う叔父さんとは本当に馬が合わなかった。わたしの考えや思いを、何を言っても真っ向から否定してくる人だったからだ。
「女が勉強なんか頑張る必要なんてない」「女はちょっとバカなくらいが可愛い」みたいなことをよく言われていたことは、何となく覚えている。
現代語でいえば「モラハラ」ということばがしっくりくる、そんな叔父さんだった。
叔父さんのDVとモラハラで、叔母さんと従兄弟たちが引越すことに
いま冷静になれば、14歳だかそこらの子供の言うことなんて支離滅裂で無茶苦茶だったと思うが、わたしはわたしなりにいろんなことを吸収して、自分なりに努力してきたつもりだった。だから絶対に負けたくなかった。
叔父さんはお酒も入っていたからヒートアップすることもしばしばあったけど、「子供だから話が通じない」とか、「女だからすぐ泣く」って思われたくなくて、喧嘩を吹っかけては反論され、それに反論する、というのが恒例行事になっていた。
母には何度か注意された気がするけど、それでも絶対へこたれなかった。
親戚の集まりがあった数か月後、突然叔母さんと従兄弟たちが急に引っ越すことになった。
原因は叔父さんからのDVとモラハラだ。
正直、詳しいことは覚えてない。叔母さんもそのことを隠していたし、確か近所の人が警察に通報してくれて、それでようやくわたしたちも実情を知って、叔父さんが警察から帰ってくるまでの期間に転居した、みたいな感じだった気がする。
多分わたしの両親もいろいろ苦労したと思う。
叔父さんが従兄弟たちの転居先を突き止めて押しかけた話も聞いたし、我が家に突然乗り込んできたこともあった。
叔父さんが当たり前の生活をしていることに、やっぱり抵抗がある
あのころは従兄弟の家でそんなことが起きているなんて知らなかったから、叔父さんと張り合うことで「大人を論破した」みたいな謎の優越感に浸っていたが、ガキのくせに一丁前に自論を語って、一歩も引かないわたしに叔父さんは心底不愉快だっただろう。
もしわたしの言動が引き金になって、わたしに浴びせていたような罵倒(ことわたしにしてみれば、買い言葉なだけな気もするが)を叔母さんや従兄弟に浴びせていたとしたら、それきっかけで暴力を受けていたとしたら、なんてことを考えると、とてもおぞましく、考えただけで辛くなってしまう。
現在は離婚が成立して、お互いが離れた環境で暮らしていて、定期的に連絡を取るようになったらしい。地元を離れ、遠くで暮らしている従兄弟も社会人になり、適切な距離を保ちながらも時折叔父さんと会っている、ということは母伝いで聞いた。
本当のことは、その家族にしかわからない。わたしは親戚ではあるけど、家族ではない。
だけど、ただ、叔父さんが当たり前の生活を送れているということに、いまだに少し抵抗があるのは、わたしがまだ中学生のまま成長できていないからなのだろうか。
「なんであんなことをしていた人が、何事もなかったかのように暮らせてしまうんだろう」と、ぐっと熱くなってしまうのは、わたしがまだ一丁前なフリをしたガキだからなのだろうか。