幼い頃からずっと心の中にあって、誰にも打ち明けられない事がある。
それは、誰も悪くないから尚更残酷。そして、大好きな家族だから、尚更見て見ぬふりをしてここまできた。
大好きなおばあちゃん家にみんなで集まったときに感じた「違和感」
私は小さい頃から、毎年夏休みにおばあちゃんの家に遊びに行くことが大好きだった。いとこ全員で花火をしたり、海に行ったり、毎年毎年おばあちゃん家に行くことが本当に楽しかった。
でも、大きくなるにつれ、ある日気づいてしまった。おばあちゃんの家では、お父さんや叔父さん達は、おじいちゃんや子供たちと一緒にご馳走を食べて、お酒を飲んでゆっくりしているのに、おばあちゃんを始め、お母さんや叔母さん達は、ずっと何も飲まず食わずで、まるでレストランの店員さんのように食べ物や飲み物を用意し続けていることを。
お母さんやおばあちゃんが、親戚の集まりに美味しい手料理を振る舞ってくれるのはよくあることだ。でも、私が違和感を覚えたのは、お父さんたちが飲み物を頼み続け「用意してくれてありがとう。もう一緒に食べようよ」と、誰もその一言を早く言ってあげないことだ。
誤解しないで欲しいのは、うちの親戚は自分で言うのも何だが、みんな礼節には厳しく、物事の分別もあり、とっても温かくて優しい人達だ。うちが異常な親族なのではない。
これは、この地域にとって“普通”のことなのだ。叔父さんもお父さんも全く悪気なく、これが、この風習が、この光景が、このあたりに住んでいるみんなにとって昔から普通で、普通の楽しい親戚の集まりをみんな過ごしているのだ。
まさかこんなに身近に「男尊女卑」が溶け込んでいたとは思わなかった
私の母は、ここの地域の出身ではなかったから、ここのしきたりを私にこっそり教えてくれたし、違和感を持っていることも伝えてくれた。というより、私以外に言える人もいなかったのもあるだろう。
私もきっと、お母さんが教えてくれなければ、もしこの地域に生まれ育っていたら、これが“普通”で育っていて、何にも違和感なんて無かっただろう。
それから私は大きくなり、自然とお母さんや叔母さんたちと一緒にみんなの食事を用意するようになった。その目の前で、お兄ちゃんたちは叔父さん達に呼ばれて、隣でお酒を飲みながらご馳走を食べている。
一緒にはるばるおばあちゃんの家に来たのに、私もお兄ちゃんと一緒で久しぶりに来たのに、同じ兄弟なのに。
大きくなって、友達のおばあちゃんの家での過ごし方を聞いて、お母さんからは聞いていたものの、私は改めて驚いた。普通は、家族や親族みんなで寛ぐものなのかと。
“男尊女卑”、教科書では習っていたけれど、まさかこんなに身近に、そして自然に現代にも溶け込んでいたものだとは思わなかった。“習って”はいたけれど、私はよく“学んで”はいなかったのだと気づいた。
今までの風習を受け入れ続けたら、きっと私も「加害者」となるだろう
ショックだった。大好きな家族だから…。そんなことをする様な人たちではないから。そして何より、その違和感に誰も同じ家庭で育った兄でさえ、全く気づいてないから。
地元が大好きで出たくない、出たこともない人たちばかりだから、きっとこれからも気づきようもないことで、しょうがないと言えばしょうがないという言葉ですぐ片付けられるのかもしれない。むしろ、ここから変えるというのは、とても違和感に感じるくらいだ。
でも、私は私のまだ見ぬ子供のためにも、変えていきたい。見て見ぬ振りを続けたら、しょうがないからと諦めてその場を受け入れ続けたら、それはそれで、きっと私も結局は加害者と一緒である。
かといって、私は兄たちに「これは間違っている!今まで散々酷い思いをした!」といった言い方をするつもりはない。なぜなら、みんなそんなつもりでやっていたわけではないからだ。
代わりに「ねえ、ちょっと一緒に手伝って」と言う。みんなで準備して、みんなで一緒にご馳走を食べる。
私もまた、こうしてこれを家族の“普通”にしていきたいのである。