90歳になるおばあちゃんは頭脳明晰。この日も断捨離をしていて…

2018年11月中旬の土曜日の午後、わたしは実家の隣にあるばあちゃん家の居間にいた。いつも通りあたたかい緑茶とばあちゃんおすすめのお菓子や漬物をご馳走になっていた。
この頃は歯列矯正の治療のためという名目のもと、1ヶ月に一度は実家に帰っていたが、本当の目的は90歳のばあちゃんに会うことだった。
わたしのばあちゃんは90歳になっても頭脳明晰で毎朝新聞を隅から隅まで読み、夕方には今日のコラムのテーマは何だったかと自問自答するくらいだった。

この日ばあちゃんは断捨離のために、昔の洋服を押し入れから出して、捨てるもの、あげるもの、とっておくものを分類していた。この服はこの人にあげよう、この服はボロだけど着やすいからとっておこう、と細かく決めているようだった。

内側に苗字の刺繍が入ったコート。気に入った私が「欲しい」と言うと

作業が順調に進むなか、懐かしいにおいがする洋服の中から、わたしに1着の洋服を差し出した。深みのあるグリーンとブラウンのコートだった。
コートの内側には苗字が刺繍されてある。色味と丈の長さが気に入り、わたしが「欲しい!」と言うと、ばあちゃんはこのコートに込められた思い出を話し始めた。

それはばあちゃんがじいちゃんの仕事で地元を離れ、夫婦とこども3人で暮らしていたときのこと。
じいちゃんが勤める会社の社宅が住まいで、よく同僚の人たちを家に招いてはホームパーティをしていた時代。ばあちゃんはもともとじいちゃんの父母、じいちゃんの兄弟、自分の子ども3人と田舎暮らしで、毎日農業と家事に追われていた。

しかし社宅に引っ越すと、大都会の生活に一変。着るものがなく、初めてこしらえてもらった洋服がこのコートだった。
きっとばあちゃんにとって自慢のコートだったに違いない。コートの内側には苗字を刺繍してあるくらいだから、きっと奮発して仕立ててもらったに違いないと、いろんなことを想像しながら、わたしは優しい気持ちでばあちゃんの話を聞いていた。

深みのあるコートには、おばあちゃんの思い出がたくさん詰まっていた

そんな昔の話をしながら、襟元のほつれをコートの色味にぴったりなはぎれと糸で丁寧に補修してくれている。
そういえばわたしのお母さんが言ってたっけ。社宅で自分の家族だけで生活していた時代がばあちゃんにとって人生で一番最高なときだったって。ずっと大家族に縛られてきた生活を送ってきたばあちゃんにとって、一番自由で楽しい時代だったって。

深みのある色味のコートには、ばあちゃんの深みのある思い出が詰まってるんだなと思いながら、午後の西日に照らされつつ縫い手を進めるばあちゃんの姿をわたしは目に焼き付けておこうと思った。

その半年後、ばあちゃんは帰らぬ人となった。
コートの襟元の縫い目を見ると、その日のことを鮮明に思い出す。コートの襟元の縫い目を触ると、皮膚が薄くなってもがっちりとしていたばあちゃんの両手を鮮明に思い出す。
あたたかな西日の中でゆっくり手を動かすばあちゃんが、このコートに込めてくれた思いを襟元に感じながら、今日も襟を正してわたしは生きていく。