白くて、ほんのり青みがかった煙があたりに漂う。しばらく宙を舞っていたかと思うと、ちぎれるように消えていった。重苦しい匂いがいつまでも残っている。
私にはどこがおいしいのか、まったくわからない。だが彼はタバコに口元を寄せ、深呼吸を満足げに繰り返した。
タバコが大の苦手なのに匂いのもとを探し、目は煙を追いかける
種類によって様々あるが、タバコの匂いは私にとって父親の象徴だ。記憶の中の父は、いつも煙と共にあった。
どこからともなく紫煙が鼻をかすめると、視界に大きな背中の残像がちらつく。同時に幸せではない子供時代の記憶も湧き上がってくる。彼は世間一般的に「ダメ親父」、「ろくでなし」といわれる部類だった。
その影響もあって私はタバコが大の苦手だ。胸がむかむかするし、すぐにその場を離れたくなる。それなのに、私の足は縫いつけられたように動かず、匂いのもとを探し、そのうえ人がタバコを吸っている様子をしげしげと観察してしまうのだ。
歯の隙間から漏れる煙、赤く灯った指先、零れ落ちる灰。電子タバコなんかを見ると、「味気ないな」とすら思ってしまう。
苦手なもう一つの理由は、移った匂いがなかなか離れないこと。ちょっと隣にいただけで、袖口を嗅ぐとすっかり煙たくなっている。
大学生のころは友人や教授のほとんどが愛煙家で、飲み会で着た服は洗濯しても残り香が消えない。単にタバコの匂いが移るだけではなく、誰かの吸っているタバコの匂いが自分につくのがとてつもなく嫌だった。
自分を守るためにタバコを吸い、高確率で好きな人は喫煙者という因果
そして何の因果か、私は自分を守るためにタバコを吸い始めてしまった。煙には煙を――ハンムラビ法典と同じ思考回路である。友人にタバコを吸わないでほしいとは言えなかった。
誰とも被らず香りのよい銘柄を探してたどり着いたのは、「ブラックストーン」のクラシックバニラ。一般的なタバコよりも長くて匂いが強い。飲み会の席とどうしようもなくイライラしたときにだけ、甘い香りをまとうことにした。
あんなに疎んでいたはずなのに、ライターで火を点けるときは心が弾んだ。深く息を吐きだせば、つきものが落ちるような感覚がする。いつもの生活から解放されたような気がして、違う自分になった気持ちだった。
嫌いなのに心地よい、一言では表せない関係がタバコとの間に生まれた。
さらに自分でも説明できず不思議だったのは、好きになった人が高確率で喫煙者だったことだ。煙の匂いに耐えながら、2年付き合った恋人もいた。喧嘩をしたときには、ゴミ箱の吸い殻が憎たらしくてたまらなかった。別れた日はむせかえりそうな煙に耐えて過ごしたふたりの時間はなんだったのだろうか、とひどい脱力感に沈んだ。
偶然という言葉で片付けることもできる。
「それにしては、できすぎじゃないか?」と考えは堂々巡りで決着がつかない。
新しいタバコの香りで記憶を上書きはできても、忘れることは一生ない
そのたびに首をもたげるのは、無意識にタバコを吸う男性に父親像を求めているという嫌な考えだ。おそらく、男性=タバコという公式が私の脳にはインプットされている。
小説でタバコを吸う描写があれば、その人物はおそらく男性だろうと無骨な手や薄い唇を思い浮かべてしまう。失笑するほどステレオタイプで陳腐な考えだ。
去っていった父の背中に未練はないが、せめて思い出だけは美しくしたいという見栄が海馬でもがいているのかもしれない。
匂いと記憶の関係を調べてみたら、嗅覚は感情を処理する偏桃体、記憶を司る海馬とつながっているとわかった。記憶や感情が匂いによって呼び起こす現象を「プルースト効果」というらしい。フランスの作家・プルーストが書いた小説の中で、主人公がマドレーヌを紅茶につけたときの香りから子供時代を思い返すシーンに由来している。
父と同じようにタバコを吸う男性と幸せな思い出を重ねても、過去は変わらない。しかし、幼いころの記憶を、新しいタバコの香りで上書きできるかもしれない。このエッセイを書きながら、心の片隅でうずくまった幼い自分と巡り合った気がする。
それでもきっと、染みついた彼の残り香は振り払えない。苦しくも時折きらめく父との出来事を忘れることはこの先、一生ないと思う。新しいタバコの匂いをまとった私は、小さな頭をなでてあやすことしかできなかった。
この匂いとは、この先もともに歩んでいかなくてはならないのだ。